川崎「ぶっつけ本番でも」―復帰に意欲=鷹詞〜たかことば〜

田尻耕太郎

2日からキャッチボールを再開

メダルを逃した北京五輪で、左足の疲労骨折という大きな代償を追った川崎 【Photo:ロイター/アフロ】

 今週、北京五輪後に左足の疲労骨折が判明した川崎宗則が復帰へ向けて練習を再開した。北京から帰国後はしばらく安静にしていたが、2日に球団寮に隣接する西戸崎室内練習場にやって来た。また、この日は前日にリハビリ先の米国から帰国した斉藤和巳も西戸崎練習場を訪れており、ともにファームの遠征に帯同しなかった居残り組の選手たちと再会のあいさつを交わした。
 居残り組のウオーミングアップが始まると、川崎はそれには参加せずにトレーニングルームに直行。室内ではエアロバイクをこぐなど足に負担のかからないメニューをこなしていた。
 気になる左足の状態を尋ねると「まだ痛い」とのこと。
「痛くなかったらゲームに出るよ」
 当然の答えだ。球団の発表では全治未定だが、足の故障が多いサッカー選手を調べてみると、同様の骨折をした場合に全治まで2カ月ほどかかっている。それを考えると、今季中の復帰はかなり困難だ。川崎の今シーズンは終わってしまったのか。
 しかし、川崎はあきらめていない。室内でのトレーニングを終えると、グラブを持って屋外の芝生グラウンドでキャッチボールを始めた。約15メートルの距離だが、指先の感触や体の使い方を確かめるように、丁寧に10分間ほど照りつける太陽の下でボールに触れた。
「キャッチボールは(北京五輪準決勝の)韓国戦以来。やっぱり体を動かすのは気持ちがいいね」
 足元を見れば練習用のシューズを履いている。特注品ではない。いつもと同じものだ。さらに室内に戻るとバランスボールに座ったまま捕球動作とティー打撃も行った。

「五輪出場が良かったと思える日が来る」

 それにしても、シーズン中に西戸崎練習場で川崎の練習を見るのは3年連続となる。残念で仕方がない。国際大会といえば、2006年のワールドベースボールクラシック(WBC)でも決勝戦の、あの「神の手」で右ひじを負傷して、帰国後しばらくはこの場所で復帰を目指した。ただ、あの時は全試合に出場し、世界一という栄冠を勝ち取った。北京五輪は出場が3試合のみ。そしてメダルすら逃した。どうしても聞きたい。北京五輪に出て良かったと思ってる?と……。

「今は分からない。でも、今まで後悔をしたことがない。だから、北京五輪に出たことも『良かった』と必ず思える日がくると思うよ」(川崎)
 
 そして、4日も川崎は西戸崎練習場で汗を流した。キャッチボールの距離はあっという間に30メートルを越えていた。時間も5分伸びて15分間行った。その練習後、北京五輪が無駄でなかったと思える出来事があった。用具メーカーの担当者と何か話し合っている。グラブの型を変えたいという。参考にしたのは代表主将の宮本慎也(東京ヤクルト)のグラブだった。

 この日、福岡ソフトバンクは北海道日本ハムにサヨナラ負けを喫して3位に転落した。今の不安定な戦いでは、クライマックスシリーズ進出すら危うい。レギュラーシーズンでの復帰を目指す川崎は日程表を見ながら、呟いた。
「ファームの最終戦は9月21日か…。そうなると、ぶっつけ本番だな」
 それ以降も1軍の試合はまだ10試合以上残っている。川崎の中で、ひとつの目標が芽生えた。

<了>
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著者プロフィール

 1978年8月18日生まれ。熊本県出身。法政大学在学時に「スポーツ法政新聞」に所属しマスコミの世界を志す。2002年卒業と同時に、オフィシャル球団誌『月刊ホークス』の編集記者に。2004年8月独立。その後もホークスを中心に九州・福岡を拠点に活動し、『週刊ベースボール』(ベースボールマガジン社)『週刊現代』(講談社)『スポルティーバ』(集英社)などのメディア媒体に寄稿するほか、福岡ソフトバンクホークス・オフィシャルメディアともライター契約している。2011年に川崎宗則選手のホークス時代の軌跡をつづった『チェ スト〜Kawasaki Style Best』を出版。また、毎年1月には多くのプロ野球選手、ソフトボールの上野由岐子投手、格闘家、ゴルファーらが参加する自主トレのサポートをライフワークで行っている。

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