ザ・イエロー・サブマリン、再びCLの舞台へ

 小さな街、小さなクラブ、少ない予算、そして大きな成果。ここ10年間で、ビジャレアルはスペインとヨーロッパの舞台で最大限の進歩を達成した。例外的な補強策の成功とタフな技術、そして最高レベルの監督が原動力だった。

 ビジャレアルは人口4万人の温暖な気候の街だ。しかしビーチはなく、重要な記念碑も文化的な施設もない。簡単に言えば、わざわざ立ち寄る用事のない街だ。唯一とも言える産業はセラミックの製造である。そして、街の唯一の娯楽はフットボールチームだ。クラブのニックネームはイエローサブマリン、これはビートルズの有名な楽曲を想起させるが、それはスペインのバンドによる同名の曲のカバーで、オリジナルは大して有名でないムスタングというグループが60年代に歌っていたものだ。

 イエローサブマリンは沈みっぱなしで、23年間は3部リーグに所属していた。1部にいたのはわずか9年間にすぎない。しかし、2004−05シーズンにはリーグで3番目に有力なチームに成り上がった。レアル・マドリーとバルセロナの2大モンスタークラブの後ろ、アトレティコ・マドリー、セビージャ、そして最も憎むべき近隣のライバルであるバレンシアよりも上位に食い込んだのだ。ここ4シーズンの総合ポイントでも、ビジャレアルはレアル、バルサに次ぐ勝ち点(261ポイント)を挙げている。今年のユーロ(欧州選手権)でも、セナ、カソルラ、カプデビラ、ニハトが活躍した。マルコス・セナはイタリアの『ガゼッタ・デッロ・スポルト』紙の選ぶ大会MVPに選出された。

 サンパウロ生まれのセナは2005年にスペイン国籍を取得し、スペイン代表で絶大な働きをしている。輝かしいイニエスタ、セスク、シャビの後方にポジションを取って、攻守を連結。彼がいることで、スペインは決して2ブロックに分離することがなかった。ビジャレアルの補強の中でも最大の成果であり、実際サンカエターノから獲得に要した金額はゼロなのだ。こうしたリクルートは、有能な政策決定者なしにあり得ない。フェルナンド・ロイグ・アロンソ会長なしにビジャレアルの進歩はなかった。セラミックのビジネスで財を築いたロイグは、スーパーマーケットと風力発電の事業も行っている。かつてはバレンシアの経営陣の1人だったが、97年にビジャレアルへやって来た。ただ、一部はバレンシアにかかわっており、F1グランプリのローカルチームとスペインナンバーワンのバスケットボールチームであるパメサ・バレンシアの会長でもある。

 ロイグ会長のビジャレアルは、緒戦でバルセロナにカンプノウで勝つという最高のスタートを切ったものの、後が続かずに2部へ降格。だが、1シーズンで1部へ返り咲いた。ブラジル人のソニー・アンデルソンの獲得を皮切りに、主に南米選手の獲得で目覚ましい補強を行っていった。マルティン・パレルモ、ディエゴ・フォルラン、ファン・パブロ・ソリン、ファン・ロマン・リケルメ……。すべての選手が活躍したわけではないが、少なくともクラブは大きな損はしていない。ロイグ会長の方針は、「選手は放出しない」だ。もちろん選手が移籍を希望し、良いオファーがあればその限りではないが、原則的に獲得した選手は放出しない。しかし、ロイグは彼のコメントよりずっと巧妙に振る舞っている。フリーエージェントで獲得したアジャラを700万ユーロでサラゴサへ売ったのだ。アジャラは1試合もプレーしていない。文字どおり、濡れ手に粟(あわ)の11億円である。

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著者プロフィール

1965年10月20日生まれ。1992年よりスポーツジャーナリズムの世界に入り、主に記者としてフランスの雑誌やインターネットサイトに寄稿している。フランスのサイト『www.sporever.fr』と『www.football365.fr』の編集長も務める。98年フランスワールドカップ中には、イスラエルのラジオ番組『ラジオ99』に携わった。イタリア・セリエA専門誌『Il Guerin Sportivo』をはじめ、海外の雑誌にも数多く寄稿。97年より『ストライカー』、『サッカーダイジェスト』、『サッカー批評』、『Number』といった日本の雑誌にも執筆している。ボクシングへの造詣も深い。携帯版スポーツナビでも連載中

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