内柴「五輪は物語が一番強い人間が勝つ」=柔道男子コメント

スポーツナビ

金メダルを手にする内柴正人。2連覇を達成=10日、北京科技大体育館 【Photo:ロイター】

 北京五輪の柔道男子66キロ級の予選と決勝が10日、北京科技大学体育館で行われ、内柴正人(旭化成)が優勝し、五輪2連覇を達成した。初戦を1本勝ちでスタートした内柴は、その後も順調に勝ち進み、今大会の日本チームに最初の金メダルをもたらした。

 以下、内柴と斉藤仁監督のコメント。

内柴「僕は勝たなきゃいけない人間だと思っていた」

 勝つと思っていたし、勝とうと思っていました。前回は輝(ひかる)が生まれて妻が会場に来られなかった。4年間、何度も辞めたい思ってましたけど、一生懸命、家事をしたり、学校に行っている妻と子どもを北京に連れて行くという思いで頑張りました。これでチャラにはならないですけど、少しは恩を返せたかなと思います。

 ただうれしいだけです、これは夢じゃないのかなと。(30歳は日本柔道の最年長金メダルですが?)本当ですか? 野村先輩は? (アテネのときは29歳)よしっ、一個だけ勝ちましたね(笑)。(30歳ということについては)合宿で同級生の(井上)康生がコーチにいることも、すごく不思議な感じでした。チーム(中村)行成で組んで調整をしていて、ユキ先輩が体調を崩して今回はセコンドにつけなかったんですけど、ユキ先輩と一緒に練習してきた成果は絶対にあるはずだと、そのためには結果を出さないといけないと思っていました。

 僕は100パーセントの力じゃ勝てないので、あとは神様に動かしてもらうしかない。1試合ずつ、いつこのいい流れが途切れるんじゃないかと心配で、自分しか信じられるものはないんですけど、今までが今までなので不安でした。自分に対して祈る気持ちで、頑張ってくれよと思っていました。

(柔道は初日に金メダルがなかったが、キャプテンとして期するものはあったか)ヤワラちゃん(谷亮子)が負けてびっくりして、それで平岡が負けて帰ってきて「何でもやるので付かせてください」と言われました。あいつはこれまで全勝で来て、僕もチームのみんなも負けるはずはない、平岡ならやってくれると思っていたんですけど、まさかああいう形で……。だから「お前の中にたまっているものを俺にくれ。それを力に変えるから」と言って握手をして念をもらいました。
 僕は4年前からずっと、五輪は勝つ理由というか、物語が一番強い人が勝たなきゃいけないと思っていました。僕は勝たなきゃいけない人間だと思っていました。

 勝った瞬間は、本当に覚えてないんです。「あっ」と思って、寝技にいこうと思ったら、背中をドンとついて。「やべっ」と思ったら手が出てきたので取りました。自分で誘い込んだつもりなんですけど。
(今後は)とりあえず大幅な夏休みを取ります。もういいでしょ、休んで。気晴らしに旅行に行きたいです。今回は本当に疲れました。五輪で優勝したあとの柔道家としての生き方をどうするかを、代表が決まったときから考えていたんですけど、頑張りすぎて、現役(続行も)も危ういなと。、夏休みを取って、それから柔道に熱いものがあればやりたいし、うんざりしてれば辞めちゃうかもしれないですし、そこは分かりません。(野村さんは休み後に戻ってきましたけど)あの人は休みすぎなんですよ(笑)。

メダリスト会見での内柴コメント

8月10日、男子柔道66キロ級で内柴正人(写真上)が五輪2連覇、今大会日本初の金。写真は強豪アレンシビアとの準決勝 【Photo:ロイター】

 日本はよくフランスに合宿に行くので、(決勝で戦った)ダルベレのことはよく知っていました。一緒にお酒を飲むこともあって、柔道以外でもいろいろと研究させてもらってます(笑)。決勝については、僕もどうやって勝ったのかよく覚えていないので、家に帰ってビデオを見たいと思います。
(日本の柔道のレベルが下がっていると言われていたが、これで日本のレベルを証明したと思うか)僕らは日本の柔道に自信を持ってやっています。この柔道を貫き通せば勝てるという自信もあって、でも最近勝てなかったので、自分が何がなんでも代表になって、日本の柔道が世界で通じるんだというところを見せたいという気持ちはありました。

 2005年の世界柔道でブラジルのデルリに負けてから、勝てなかった時間が長かったんですが、実際に現役を辞めていないこと自体が、この日を夢見ていたんだなと思います。勝てなかったけど、北京五輪でチャンピオンになることをずっと思っていました。

■斉藤仁監督「初戦を見た段階でいけると思った」

 完ぺきだった。内柴は60キロ級時代に地獄を見た男だから(編注:内柴はアテネ五輪から66キロに階級を上げているが、それ以前の60キロ級時代は減量に苦しみ、03年の全日本選抜体重別選手権では体重オーバーにより失格するということもあった)。死ぬ気でやれと言ったら、「僕は60キロのときに一回死んでますからね」と言っていた。死んだ気になったら何でもできる。これ以上ない動き、アテネ以来の動きだった。初戦を見た段階でいけると思った。競り合いでも下がらなかったし、あれが本来の内柴。4年間苦しんで、国際大会1回も勝ってないんだから。平岡が負けて、ほかの選手には一人一人が自分が初日だと思って戦えと言った。この金メダルだけで浮かれる気持ちはないけど、2連覇は大したもの。内柴には、野村がアテネで優勝したあとに後輩たちにやってくれたことをやってくれと言った。

<了>
  • 前へ
  • 1
  • 次へ

1/1ページ

著者プロフィール

スポーツナビ編集部による執筆・編集・構成の記事。コラムやインタビューなどの深い読み物や、“今知りたい”スポーツの最新情報をお届けします。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント