“大会ナンバーワンスラッガー”の苦悩と成長=タジケンの高校野球観戦記

田尻賢誉

スランプ、そしてケガからの脱却

 大会ナンバーワンスラッガー――。
 この称号が、智弁和歌山・坂口真規を苦しめていた。昨夏、仙台育英・佐藤由規(現東京ヤクルト)からレフトスタンド中段に本塁打を放った姿ばかりを追い求められ、その期待に応えようと無意識に大きい当たりを打たなくてはと思ってしまう。体が開き、外のスライダーを当てるだけになった結果が、センバツでの14打数3安打という不振だった。
「最悪でした。全打席悔いが残ります」

 6月中旬には、以前から痛めていた右足が疲労骨折していることが判明。痛さから思い通りの打撃ができず、練習中にも「いてぇ」とイラ立ちを隠せないこともあった。智弁和歌山恒例の夏の大会前のダッシュに加わらず、安静にする毎日。坂口は悔しさとふがいなさでいっぱいになりながらも、一方で冷静に自分の打撃を見つめ直していた。
 そして、変えたことがふたつ。ひとつは、左足を上げる際に体をひねらず、左肩が入るねじりを少なくしたこと。
「今までは思い切り弓を張ろう、強く振ろうという意識があったんですけど、自分はそんなに強く振らないでも飛ぶので。もう少し軽くしてみようと思ったんです」
 この結果、これまでは内角球に差し込まれていたが、反応することが可能になった。130キロ台なら打ち返せるし、140キロ台の速球でもファウルにできる。これで“内角に速球”→“外角にスライダー”というこれまでの打ち取られるパターンからは脱却した。
 もうひとつは、打席の立ち位置。センバツ初戦の丸子修学館戦では、ベースから半足程度離れて立っていたが、ベース寄りぎりぎりに立つようにした。
「前は内も打てるようにと思ってたんですけど、当たる(死球)か外を狙って打てるようになりました」
 何でもかんでも打とうと思わず、狙い球が絞れるから結果が出る。これらの効果が表れての、和歌山大会4試合連続本塁打だった。

周囲の声を気にせず自らの打撃に集中

 記録を残したことで、またしても“ナンバーワンスラッガー”として騒がれる。だが、坂口はもう以前の坂口ではない。
 1日の打撃練習では、「あまりよくないです」と納得のいかない内容だったが、練習の最後にロングティーで調整。強振せず、軽く振ることでヘッドが抜ける感覚を確かめた。済美戦(2日)では、エンドランのかかった第1打席で外のスライダーをサードゴロ。春の姿が思い出されたが、次の打席からは修正。第2、3打席目ともにスライダーを狙い打って連続二塁打を放った。
「1打席目でスライダーを打てないと思わせたら、次の打席でスライダーを投げてきてくれる。技で打った二塁打です」

 打撃のレベルが上がるとともに、意識のレベルも上がった。お立ち台では、「ホームラン」という言葉を連発し、何とかして本塁打宣言をさせたがるアナウンサーに対し、「ホームランはたまたまなので、打てたらラッキーです」と冷静にスルー。第2打席のレフトオーバーの打球を「感触は? 入ったと思った?」と詰め寄るアナウンサーに「あまりよくなかったです。それは野球の神様にしかわからないことなので」とかわした。
 周囲の声に惑わされず、自分の打撃に集中する。これさえできれば、結果はおのずとついてくる。この日の坂口の言葉で、一番印象に残った言葉。
「1打席目は、空振りしてもいいと思ったんです。『空振りする勇気』ですよ」
 空振りは格好悪いことではない。2ストライクまでの空振りなら、もう1球打てるチャンスがあるからだ。空振りを嫌がり、当てにいっていたのがセンバツでの坂口だった。こんなところにも成長のあとが見える。見てくれも、周囲の声も気にしない。大会ナンバーワンスラッガーが、一段上のレベルに上がった。

<了>
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著者プロフィール

スポーツジャーナリスト。1975年12月31日、神戸市生まれ。学習院大卒業後、ラジオ局勤務を経てスポーツジャーナリストに。高校野球の徹底した現場取材に定評がある。『智弁和歌山・高嶋仁のセオリー』、『高校野球監督の名言』シリーズ(ベースボール・マガジン社刊)ほか著書多数。講演活動も行っている。「甲子園に近づくメルマガ」を好評配信中。

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