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日本人未踏のフィールドへ
高橋健介インタビュー第1回

●●今夏、また1人のフットサル選手が海を渡った。高橋健介、26歳。行き先はフットサルの世界最高峰と言われるスペイン1部リーグのカハ・セゴビア。これまでスペイン1部リーグでプレーした日本人はいない。高橋は、日本人選手がいまだ踏み込んだことのない世界に挑む。


 昨季、Fリーグのバルドラール浦安でリーグ2位に貢献した高橋は、昨年末に移籍を決意。5月にはスペインに渡り、3つのクラブの練習に参加し、セゴビアへの移籍が決まった。

 スペイン1部リーグには各国代表級の選手が集まる。それゆえに壁は高く、日本代表の木暮賢一郎もスペイン1部リーグのクラブと契約したが、2つしかない外国人枠に残れず開幕前に2部のクラブへ期限付き移籍したこともある(今季、1部のグアダラハラに移籍)。だが、練習参加を経て移籍した高橋には、外国人枠の1つがすでに用意されており、8月の開幕戦で出場の可能性もある。

 高橋が背負っているものは、チームから与えられた背番号10だけではない。日本のファンは、日本人選手がスペイン1部のコートに立つ日を待ちわびている。高橋の活躍、それは日本のフットサルのレベルの証明でもあるのだ。多くの期待を背負って海外に飛び出した高橋のこれまでの道のりと、海外移籍への思いを聞いた●●

カスカベウ戦で受けたフットサルの洗礼

バルドラール浦安からスペインのカハ・セゴビアに移籍した高橋
バルドラール浦安からスペインのカハ・セゴビアに移籍した高橋【スポーツナビ】

――フットサルを始めたきっかけを教えてください


 出会いは小学校3年生くらいです。僕は北海道出身で、冬場のトレーニングとして体育館でやっていました。当時は「室内サッカー」という言い方でしたね。

 でも、本格的なフットサルとの出会いは大学2年生の終わりごろです。僕は順天堂大学のサッカー部だったんですが、北海道の友人から、「全日本選手権に向けてフットサルチームを作ったから来てくれないか」と誘われたんです。僕は当時、千葉に住んでいて練習には行けないので、北海道での予選だけ帰って出ていたんですが、結成3カ月くらいのサッカー素人ばかりだったのに全国大会に出て、全国でもベスト4まで行けたんです。これは運が良かったですね。


――そこでカスカベウなどの、本格的にフットサルをやっているチームと対戦したわけですね


 そうです。それが本格的なフットサルとの出会いでした。カスカベウには前半で0−9と離されて、結局4−15で負けました。個人としてはある程度できる自信があったので、そこまで圧倒的にやられるとは思っていませんでした。それはフットサルを専門でやっているチームだからこそであって、そのときにフットサルをやってみたいなと思いましたね。

 フットサルは、ボールにたくさん触れて、シュートも打てて、誰もが点を取れる。そういう部分が小学生のときから好きだったんです。それに加えて、ある程度自信があったなかでぼこぼこにやられて、(サッカーとは)違う部分がいっぱいあるんだと感じました。悔しい部分と、でもやれるんじゃないかという自信もあって、挑戦してみようかなと思い始めました。


 ちょうどそのころ、北海道のチームだけではもったいないと思って、プレデター(バルドラール浦安の前身)の練習に参加させてもらったんです。知り合いを通してプレデターの監督を知っていて、「やってみないか」という話はもらっていました。先輩が「こいつサッカーよりミニサッカーの方がうまいから、サッカーやめてフットサルやらせた方がいいよ」って冗談で監督に言っていて、僕もそろそろサッカーをどうしようかなと思っていたころだったので、1回練習に行くことにしました。

 そのときは1回だけしか練習に行っていないんですけど、正直やれた自信があったんです。よく考えたら勘違いなんですけど(笑)。チームにフィットしていない割には点が取れただけだったんです。

 結局、その後も1年間はサッカーをやったんですが、3年生の終わりのときにフットサルをしようとあらためて思って、監督に「去年1回練習に行った者ですが、覚えてますか」って電話したんです。そこで、「おー、覚えているから来いよ」となって、大学サッカーをやめて、プレデターで練習生をしながら、試合は北海道のチームで出ていました。

 それから半年くらいは練習生でした。若手の中ではすっと入っていった方だと思いますけど、それでも半年は必死でした。北海道のチームに籍があったからプレデターでは試合に出られないということもありましたけど、たとえそれがなくてもすぐに試合に出られる感じではなかったです。

最初は、何で怒られているのか分からなかった

トッププレーヤーが多くいる浦安でもまれ、高橋は成長することができた
トッププレーヤーが多くいる浦安でもまれ、高橋は成長することができた【Photo:杉本哲大/アフロスポーツ】

――フットサルを本格的に始めてみて、サッカーとの違いに戸惑ったのではありませんか?


 全然違いましたね。とにかく頭を使うことが多かった。市原(誉昭)さんがいて、途中から相根(澄)さんが入ってきて、そういうトップの選手に怒られながらやれたことが大きかったです。たまにトップチームに入ったときには、「お前、何だそれは、違うだろう」と怒られて。最初は、何で怒られているのか分からないんですよ。

 僕はプレデターで練習しながら北海道のチームで試合に出ていたんですが、試合をやるうちに、僕が市原さんの立場だったらこう動いてほしいのかな、というのが少しずつ分かるようになってきたんです。練習生をしながらも、北海道のチームで実戦を経験できたことが良かったんだと思います。


――フットサルとサッカーの違いは?


 フットサルは、2つ3つ先のことを常に考えてプレーしないといけない。チーム全体の連動というか、みんなが考えていることが一緒になって点が取れたときはすごくうれしいですね。これでもかとボールを回したときは快感ですし。やっぱり意図を持ってプレーをして、その通りに点を取ったりパスをつないだりすることが楽しみのひとつだと思います。


――フットサルで食べていこうと考えたのはいつですか?


 代表に入ってからですね。僕は小さいころから学校の先生になりたかったんです。大学も学校の先生になるために入って、教員免許も取って、赴任先の学校も決まっていたんです。代表にも、学校の先生をやりながら社会人リーグでプレーしている選手もいたので、そういう形を目指していたんです。でも、僕が卒業した2005年は、5〜6月にアジア選手権があったので、代表で1カ月不在にしなければいけなかった。「赴任早々いない可能性があります」と伝えて、ダメと言われました。そりゃそうですよね(笑)。そこで、フットサルを選んだんです。学校の先生という安定した職業を捨てたわけなので、それからはフットサルだけでなんとか食べていきたいと思うようになりました。

 それと、昔から海外に行きたかったというのもあります。海外に住んで、人としての選択肢や価値観を広げたい、旅行ではなく、海外に住んでみたいと思っていました。フットサルで代表に入ってワールドカップに出たくらいから、フットサルで海外に行けたらいいなと、漠然と思うようになったんです。

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