植田ジャパンの大学生スパイカー福澤 尽きることない探究心

田中夕子

現役大学生の福澤。若さと勢いでチームに追い風を呼び込む 【坂本清】

 天は二物を与えない。
 だが、例外もあるらしい。
 頭脳明晰(めいせき)、容姿端麗。中学時代にはオール5を取ったこともある。福澤達哉、22歳。身長189センチながら最高到達点355センチという抜群の跳躍力に、「たいてい何でもできた」と自認する身体能力の高さ。中学時代から全国に名をはせ、洛南高校では日本一に輝く。
 早くから才能と素質に定評のあった福澤が、「何でもできた」もののなかで、最も難しいと感じたのがバレーボールだった。しかし、困難な課題ほど、達成の喜びは大きい。目の前の壁を乗り越え、気づけば福澤は16年ぶりに五輪出場をつかむ歓喜の輪の中にいた。

バレーボールは自分にとって一番難しいスポーツ

いろいろなスポーツをしていた福澤にとって、最も難しかったのがバレーボールだった 【坂本清】

――福澤選手がバレーボールを始めたきっかけは?

 2つ上の兄を真似(まね)するような形で小学校4年から始めました。当時から動くことが好きだったので、バレーだけでなくスポーツ全般、水泳やバスケットもやっていました。それなりにいろいろできる方だったので、中学に入る前は陸上やラグビーにも惹かれました。でも結局は兄貴がバレー部だったので、「じゃあバレー部に入ろうかな」と。中学では外部コーチの方がいたので、そこでだいぶしごかれました。無我夢中でしたね。与えられた練習に必死でついていく毎日でした。

――複数の選択肢からバレーを選び、ここまで続けてきた魅力は何でしょうか?

 ほかの競技はそこそこ形になったんですが、バレーボールって体育の授業でやっても、たいてい形にならなかったんです。スパイクまでつながらず、サーブで終わってしまうこともある。それだけ奥が深い競技だと思うし、次から次へと課題が出てくる。自分のなかでは、一番難しいスポーツじゃないかと思います。「何でこの難しいスポーツを選んだんだろう」と思うこともありますが、だからこそ追い求めてやっていきたい。そこが魅力ですね。

考えることが好き

少しでもうまくなるために、観察と実践を欠かさない 【坂本清】

――これまでを振り返って、契機になったのはいつごろだと思いますか?

 中学で京都選抜に選ばれたことですね。今こうして全日本に選ばれるようになった、基盤をつくったのがあの時期だったと思います。練習するなかで、とにかく「うまくなりたい」「どうやったらうまくなるだろう」という一心で、いろいろなことを考えるようになりました。昔も今も、その思いは変わりませんね。

――中学時代から向上心を持っていたということですね

 考えることが好きでした。自分とは全然タイプが違っていても、「この人の打ち方がいいな」「ここがすごいな」と思ったら、それを見てやってみる。もちろんその人と同じようにはなりませんが、意識をしてイメージを近づけることが大事だと思います。それこそ選抜チームには、いい指導者の方や、いいチームメートがいます。僕は常に「ちょっとでもうまくなって帰ってやろう」と思っていましたので、練習しながらも監督やコーチに「これはどうやったらいいですか」と積極的に聞いていました。自分でイメージを持ち、客観的な意見を求める。まずはそこだと思いますね。自分で考えていろいろ試しながら、イメージしたことができたときの達成感、「こうやったらできるんだ」という感覚を得られたときが一番楽しい。今はサーブレシーブで苦戦していますが、全日本で身近にいるツマさん(リベロの津曲勝利)をお手本に、ボールが来るまでのモーションを全部真似をしてみたり。そうやっているうちに「今のは良かった」と感じられるところを、どんどんつなぎ合わせていく。これかな、あれかなと試している状態が本当に楽しいです。

大学では、キャプテンとして後輩の面倒を見る立場でもある 【坂本清】

――福澤選手ご自身も、大学の後輩や同級生からいろいろ聞かれる立場なのでは?

 とくに後輩からは「どうしたらジャンプ力が伸びますか」と聞かれることがよくあります。そのときも自分なりに分かっていることを答えますよ。トレーニングをするときにしても「腿(もも)の裏側へ先に刺激を入れたら、そこを意識することでジャンプするときに使っている部分が分かりやすくなるし、ここを意識したらこれがこうなって跳びやすくなる」と説明するんですよ。でも伝わらないですね。聞いている方はポカンとしています(笑)。

――大学ではキャプテン、全日本では最年少。立場の違いをどのように区分していますか?

 大学にいるときの方が、調子が悪くなったりスランプに陥ったりやすいですね。どうしても自分が一番上の立場だと周りを教える、見てあげる側になりがちです。しかも自分の調子やプレーを客観的に見てくれる人も少ない。全日本でのツマさんのように、「真似してみよう」と思う選手も大学ではほとんどいません。そうなると視野も狭くなり、自分本位になりがちなので、調子が悪くなってしまうのかもしれません。全日本のように、一番下でいろいろなことを吸収できる環境の方が、自分自身をつくっていきやすいかな。今はその方がやりやすいし、恵まれている環境だと思います。

■為末、イチローの考え方に興味

――北京五輪ではさまざまなアスリートが一堂に介します。話をしてみたい人、会ってみたい人はいますか?

 ただ単にすごいというのではなくて、その人独特の考え方を持っている人に惹かれます。陸上の為末(大)さんは、自分の哲学を持った方だと思うし、とても興味深いですね。話してみたいです。それ以外でも、例えば野球のイチロー選手などは、自分にしか分からない世界を持っている人だと思います。テレビや本で考えを読んだり聞いたりして、「あぁすごいな」と思い、真似してみようとするのですが、あれは誰も理解できひんなと思いますね。どちらかというと、「イチローはこう考えている」ということよりも、どうやってその考え方がつくりあげられたのかという方に興味があります。だから、好きな言葉を聞かれても安易にイチロー選手が言った言葉を使いたくありません。本当の意味では何を言っているか分からないですから(笑)。
 昨秋のワールドカップ(W杯)は、直前で最終メンバーから漏れた。冷静に、客観的に、自分と周囲を分析した。あの人は何が優れているのか。自分が劣っているもの、優れているものは何か。そしてW杯直後のインカレ、清水と全日本スタッフとで行った合宿を終えた福澤は、W杯前にはなかった自信を身に付けた。
「自分のベストパフォーマンスを発揮する。それができたら、12人に選ばれるだろう」
 飽くなき追求心と向上心。北京でも、自身の糧とするために、機会があれば多くのアスリートと話がしてみたい。
 五輪へ――。周囲と同じように、福澤自身の期待も高まる。バレーボールの“北京世代”最年少が、未来への一歩を踏み出す。

実感し始めた男子バレーの盛り上がり

16年ぶりの五輪出場が決まり、男子バレーへの注目度は急上昇している 【坂本清】

――前回、全日本男子が五輪に出場した1992年バルセロナ大会の時には5歳だった福澤選手は、以前「男子バレーが盛り上がっている状態が想像できない」と仰っていました。16年ぶりの出場を決め、盛り上がりを実感されるようになりましたか?

 テレビの効果というか、北京オリンピックへ出場を決めたことによって、世の中の興味が以前に比べると格段に上がってきていると感じます。これまでの男子バレーは好きな人が見に来るものでしたが、今回の出場決定を機に今までバレーに興味がなかった人も、「男子バレーも応援しよう」と思ってくれるようになった。現時点でも確かに変化は感じていますね。

――大学4年生での五輪出場ですね

 現役学生であるうちに、12人のメンバーに入って北京に行くというのは、とても大きなことだと思います。大学にも垂れ幕を飾ってもらったり、いろいろな人に「頑張ってね」と声を掛けてもらったり。オリンピックに出るというのは、こういうことなんだなと。学生というだけで話題性はありますし、感じ方も違う。自分にとっても、今ここでオリンピックに出られるというのはとてもプラスになることだと思います。

清水と2人でもっともっと活躍したい

同い年の清水邦広(左)とは、ライバルであり仲の良い同志でもある 【坂本清】

――では今、福澤選手のどんなところ、どんなプレーを見てほしいですか?

 技術の部分では、他のサイド陣と比べると劣っていると思います。そこはすぐに埋まるものではないし、今から努力をしてもそう簡単に差が縮まらないかもしれません。ただ、身体能力には自信があるし、22歳という若さと勢いは他の人には出せないと思います。守るものはないので、そういうところで自分の良さを目いっぱいアピールしたいですね。

――確かに最終予選のアルジェリア戦で福澤選手が見せた思い切りのいいプレーはとても印象的でした

 余裕はなかったですよ(笑)。ただ試合出場の機会がないときも「出たら絶対に思い切りやってやろう」と待っていたので、それがいいように出せたのかもしれません。見ていた人からも「伸び伸びやっていたね」と言ってもらえたので、それだけ自分自身も楽しんでいたのだと思います。清水(邦広)がW杯でスタメンデビューをしたときも、後で話を聞いたら「めっちゃ楽しかった」と言っていました。自分にとっては、これだけ注目されたなかで出た初めての大会が五輪最終予選だったので、清水のW杯と同じように「楽しかった」のだと思います。清水の場合は、W杯にも出た分今回は結果を求められて、その硬さもあったでしょうね。
 全日本選手としての国際大会でのスタートは、(清水とは)ずれてしまいましたが、あいつが先に出ていたから、自分もやりやすかった。これからは、清水と2人でもっともっと活躍したいです。

若いうちに与えられたチャンスをプラスに

今回は若手選手の福澤。栄光の歴史をつくる旗手となるべく、北京へ臨む 【坂本清】

――では最後に、あらためて北京五輪への決意を聞かせてください

 メンバー全員で勝ち取った出場権だと思いますが、まだ「連れていってもらった」感覚が大きい。若い自分には、チームを勢いづける役割があると思うので、あれこれ考えずに思い切ったプレーをしたい。それができるのは若いうちだけだと思うので、北京オリンピックという大きな舞台で、伸び伸びとした、チームを勢いづけられるようなプレーができたらいいなと思います。若いうちにチャンスを与えられたのは大きなことだと思うし、これから自分たちが目標にしてやっていく舞台を、ここで実際に体感できるのはこれから先のバレー人生に大きなプラスになると思います。次のロンドンや、その次のオリンピックにもいい形でつながると思います。思い切りできることをして、楽しみたいと思います。

改善点について「考え、試し、ものにする」を繰り返すと言う福澤。10年後が楽しみな選手だ 【坂本清】

福澤達哉(ふくざわ たつや)
1986年7月1日 京都府出身

 植田ジャパンの大学生ウイングスパイカー。兄の影響で小学校4年の時にバレーボールを始める。2004年、キャプテンを務めた京都・洛南高校3年次にインターハイで優勝を飾ると、中央大学法学部に進学後の05年には、ワールドリーグの全日本代表に選出される。07年には、ユニバーシアード代表、五輪切符を懸けたワールドカップでは最終メンバー入りはならなかったものの代表候補に名を連ねた。08年5月開幕の五輪最終予選でも代表入りし、16年ぶりの五輪切符を獲得した。現在、中央大に在籍し、バレーボール部でキャプテンを務める。189センチ、84キロ。

<過去の主な成績>
05年 春季関東大学1部リーグ戦 3位
   秋季関東大学1部リーグ戦 6位
   全日本大学選手権 ベスト8
06年 春季関東大学1部リーグ戦 5位
   秋季関東大学1部リーグ戦 6位
   全日本大学選手権 ベスト8
07年 春季関東大学1部リーグ戦 優勝
   東日本大学選手権大会 優勝
   東西インカレ男子王座決定戦 優勝
   秋季関東大学1部リーグ戦 3位
   ワールドカップ代表候補
08年 北京五輪最終予選 2位(アジア圏内1位)
   北京五輪最終メンバー選出
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著者プロフィール

神奈川県生まれ。神奈川新聞運動部でのアルバイトを経て、『月刊トレーニングジャーナル』編集部勤務。2004年にフリーとなり、バレーボール、水泳、フェンシング、レスリングなど五輪競技を取材。著書に『高校バレーは頭脳が9割』(日本文化出版)。共著に『海と、がれきと、ボールと、絆』(講談社)、『青春サプリ』(ポプラ社)。『SAORI』(日本文化出版)、『夢を泳ぐ』(徳間書店)、『絆があれば何度でもやり直せる』(カンゼン)など女子アスリートの著書や、前橋育英高校硬式野球部の荒井直樹監督が記した『当たり前の積み重ねが本物になる』『凡事徹底 前橋育英高校野球部で教え続けていること』(カンゼン)などで構成を担当

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