鷹の中継ぎ、柳瀬が手にした勲章

田尻耕太郎

6月のパ・リーグ最優秀リリーフ投手

 それは、今季の福岡ソフトバンクには縁のない「タイトル」だと思っていた。しかし、受賞したのは背番号56、柳瀬明宏だった。
 NPBが毎月テーマを設定して最も優れた選手を表彰する「JA全農Go・Go賞」。6月度のテーマは「救援賞」だった。1セーブにつき1ポイント、救援勝利や1ホールドは0.5ポイントで計算。その結果、柳瀬は7試合に登板して2セーブと3ホールドをマークして、3.5ポイントを獲得した。千葉ロッテの荻野忠寛も同ポイントで並んだが、月間防御率で上回った柳瀬の受賞が決まった(柳瀬は0.00、荻野は3.00)。首位を走る埼玉西武の抑えを務めるグラマンや北海道日本ハムの守護神・MICHEALらを抑えての受賞だから、その価値は高い。また、開幕から守護神・馬原を欠き、救援陣の不安定さを指摘されていた福岡ソフトバンクにとっても柳瀬の活躍は大きかった。

 柳瀬は今季3年目の右腕。2005年大学・社会人ドラフト6巡目で龍谷大から福岡ソフトバンクに入団した。大学4年時に右ひじを手術したため下位での指名だったが、潜在能力は上位クラス。それはルーキーイヤーから証明された。8月に1軍デビューすると、150キロに迫るキレ味抜群のストレートと鋭く落ちるフォークボールを武器に、10月のプレーオフ(現・クライマックスシリーズ)第1ステージで2勝をマーク。一気にブレークした。
 そして、昨季はセットアッパーとして44試合に登板し、防御率は3.33。長いシーズンの中で不安定な時期もあった。柳瀬は勢いだけではシーズンを戦うことはできない。そう痛感していた。

わずか7球で変わった運命

 今季は開幕1軍には滑り込んだが、開幕当初は敗戦処理が主だった。登板間隔が10日以上空くこともあった。ブルペンで過ごす時間は自然と増える。コーチ陣のアドバイスなどもあり、柳瀬はあることを考えるようになった。
「今までは打たれて反省していた。それでは遅い。打たれる前に考えないといけない。ブルペンでモニターを見ながら『自分だったらこう攻める』と考えるようになりました」

 開幕からの不遇な運命を変えた試合は、6月11日の中日戦(ヤフードーム)だった。3点差の9回、王貞治監督はこの日の締めくくりを左腕の小椋真介に任せた。しかし、味方の失策と死球で無死一、二塁として3番のT・ウッズを迎えたところで、柳瀬はマウンドに送られた。
「チームとしては大ピンチ。でも、今までチームに迷惑をかけてきた僕にとってはばん回するチャンスだと思ってマウンドに立ちました」
 もともと気持ちの強い投手だ。入団時には「ピンチの場面でマウンドに上がりたい。その方が燃える」と話していたことを覚えている。
 柳瀬は、この一発同点の場面でも気後れすることなく、己のボールを信じて投げ込んだ。結果はT・ウッズを平凡な中飛、続く4番の和田一浩を二ゴロ併殺打に打ち取り、わずか7球で緊迫の場面を乗り切った。

「リリーフが不安定といわれるのは悔しいし、恥ずかしい。チームに恩返しをしたい」
 王監督も「暑くなればリリーフ陣の仕事は増える」と話している。福岡ソフトバンクは8日と9日の首位・埼玉西武との2連戦に連勝して、ゲーム差を4まで縮めた。この勢いでレオの背中に追いつき、追い越すときには、頼もしさを増したリリーフ陣の中心に柳瀬の姿があるだろう。

<了>
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著者プロフィール

 1978年8月18日生まれ。熊本県出身。法政大学在学時に「スポーツ法政新聞」に所属しマスコミの世界を志す。2002年卒業と同時に、オフィシャル球団誌『月刊ホークス』の編集記者に。2004年8月独立。その後もホークスを中心に九州・福岡を拠点に活動し、『週刊ベースボール』(ベースボールマガジン社)『週刊現代』(講談社)『スポルティーバ』(集英社)などのメディア媒体に寄稿するほか、福岡ソフトバンクホークス・オフィシャルメディアともライター契約している。2011年に川崎宗則選手のホークス時代の軌跡をつづった『チェ スト〜Kawasaki Style Best』を出版。また、毎年1月には多くのプロ野球選手、ソフトボールの上野由岐子投手、格闘家、ゴルファーらが参加する自主トレのサポートをライフワークで行っている。

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