歴史に名を残したアラゴネス

 1964年以来、スペイン代表はビッグタイトルから遠ざかっていた。何人もの監督たちが任務に挑戦したが成し遂げられず、唯一、ルイス・アラゴネスだけがユーロ(欧州選手権)2008のタイトルをもたらすことができた。

 1938年生まれのホセ・ルイス・アラゴネス・スアレスは、今大会の監督16人中で最高齢だった。アラゴネスは50年代後半にレアル・マドリーの選手となったが、当時のレアルは史上まれな強力なチームで、彼は1軍ではなかった。そこでいくつかのチームに貸し出されたあと、オビエドとベティスでプレーし、最終的にはアトレティコ・マドリーで活躍の場を見いだした。アラゴネスは、10シーズンで265試合に出場し、123ゴールを挙げた。

 アトレティコ時代のニックネームは“サパトーネス”。大きな靴という意味だ。アラゴネスはFKのスペシャリストで、よく得点を取ったからだ(70年にはリーグ得点王)。現役を退いてから、監督としてのキャリアをスタートしたのがアトレティコというのは自然の流れだが、その後はリーガ・エスパニョーラで12回もクラブ監督を務めた。ただ、ほとんどのチームで指揮を執ったにもかかわらず、レアル・マドリーの監督にはならなかった。

 2004年、アラゴネスがスペイン代表監督に就任したときの目標は、何らかのタイトルを獲得することだった。また、レアル・マドリーとバルセロナの敵対関係に終止符を打つこと。そのためにアラゴネスは50人もの選手を招集しながら、ラウルとエルゲラを呼ばなかった。グティについては、かなりはっきりと拒絶していた。
「グティは、彼のポジションで最高の選手ではない。私の下にいる選手より優れているわけではなく、はっきりいえば全く必要ではない」

 問題はラウルだ。リーグの得点王も取ったことがあり(1998−99シーズンと2000−01シーズン)、ずっと代表のエースだった。繰り返されるメディアからの質問にうんざりしたのだろう。アラゴネスはこう答えている。
「ラウルのいるスペインは、何回ワールドカップで優勝した? ゼロだ!」
「私はラウルをよく知っている。でも、彼を呼ばないのは彼が一番ではないからだ。私は選手と友だちになるために監督になったのではないし、メディアに降参するためでもない」

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著者プロフィール

1965年10月20日生まれ。1992年よりスポーツジャーナリズムの世界に入り、主に記者としてフランスの雑誌やインターネットサイトに寄稿している。フランスのサイト『www.sporever.fr』と『www.football365.fr』の編集長も務める。98年フランスワールドカップ中には、イスラエルのラジオ番組『ラジオ99』に携わった。イタリア・セリエA専門誌『Il Guerin Sportivo』をはじめ、海外の雑誌にも数多く寄稿。97年より『ストライカー』、『サッカーダイジェスト』、『サッカー批評』、『Number』といった日本の雑誌にも執筆している。ボクシングへの造詣も深い。携帯版スポーツナビでも連載中

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