新たなる歴史の扉を開けたスペイン=美しいフットボールでの完全勝利
“闘牛士”になったスペイン
アラゴネス監督(中央)を囲んでユーロ優勝に沸くスペイン代表の選手たち 【REUTERS】
RFEF(スペインサッカー協会)は指揮官の仕事ぶりを評価してきたが、大会前から契約は延長しないことをすでに本人に伝えていたと言われる。後任には、2009年のコンフェデレーションズカップ、続く10年のワールドカップ(W杯)を見据えて、元レアル・マドリー監督のビセンテ・デル・ボスケが就任することが既定路線となっていた。
監督交代は避けられそうもないが、2度目の欧州チャンピオンになったことで、スペインの歴史は新たなステージに突入した。最初に頂点に立ったのは1964年のこと。しかし、20世紀のフットボールと現在のそれでは、全く異なるスポーツと言っても過言ではない。それほど、近年のフットボールはめまぐるしく変化しているのだ。
スペインはチャンピオンの座を手にしたのみならず、明らかに今大会最高のチームでもあった。準々決勝のイタリア戦でのPK戦勝利をのぞけば、“完全勝利”で頂点にたどり着いた。ユーロ予選、親善試合なども含めて、世界のそうそうたる国々を相手に、ドイツとの決勝まで22試合無敗を続けてきたのだ。結果だけでなく、そのプレースタイルも個性的である。ダイレクトパスを多用し、次々とポジションチェンジを繰り返しながら中盤からゲームを組み立てる魅せるフットボール。選手たちの資質に寄与する部分もあるが、その小気味いいプレーは辛口の批評家たちをも黙らせたのだった。
ペルーで行われた2004年のコパ・アメリカ(南米選手権)で、かつてアルゼンチン代表を率いたことでも知られる指導者、セサル・ルイス・メノッティと話す機会があった。バルセロナやアトレティコ・マドリーで監督を務めたこともあり、スペインのフットボールに精通している“目利き”である。メノッティはこの時、アラゴネスが代表監督に就任するにあたっては、「まず牛になりたいのか、闘牛士になりたいのかを決めなければならない」と持論を展開した。つまり、独自の戦術を追求するにしても、“ラ・フリア・ロハ=赤い激情”と呼ばれるスペイン代表の昔ながらの戦い方を踏襲しなければならないとしても、世界で結果を残すためにはどん欲さ、力強さ、不屈の精神が必要だということだ。
このメノッティの意見がスペインの新聞に掲載された時、アラゴネスはマドリーのスポーツ紙を通じて「裏切られた気分だ」と反発した。恐らく、すでに指揮官の頭の中には、メノッティが主張しているようなスペイン代表の青写真が描かれていたからだろう(われわれは多くを知るところではなかったが)。そして、グループリーグ敗退という失敗に終わった04年のポルトガル大会から4年後、スペインはスイスとオーストリアで共催されたユーロで、ついに優勝という歓喜を手にすることになるのである。
海外組と経験豊かな若手の存在
決勝戦でゴールを決めたF・トーレスら、海外でプレーする選手たちの経験も大きかった 【REUTERS】
彼らは長い間、スペイン代表を支えてきた大黒柱だった。しかも、ラウルはユーロ本大会を前にかつての輝きを取り戻しており、リーガ・エスパニョーラの得点ランキング上位にも顔をのぞかせていたのだ。ラウルをいつまでたっても招集しないアラゴネスに対して、地元メディアの間でも、世間からも大きな批判が沸き起こった。加えて、アラゴネスの怒りっぽいキャラクターも批判に拍車をかけたと言える。しかし、指揮官は自らの意志を貫いた。“素直な”選手たちを集め、特権階級もなく、チームとしてまとまりのあるグループを作り上げたのだ。かつてラウルが巻いていたキャプテンマークは世界に名だたるGKイケル・カシージャスに託され、結果的にそれが功を奏した。
しかし、スペイン躍進の要因を考える際に忘れてはならないのは、選手たちの経験値の向上である。スペインのフットボールは世界有数のリーグとなり、選手を国外に輸出するまでになった。とりわけ、世界最高とも言われるイングランド・プレミアリーグでプレーする選手が増えたことは、これまで内弁慶と言われてきたスペイン代表にとって、大きな出来事だった。
今大会でも、フェルナンド・トーレス(リバプール)、セスク(アーセナル)といった“イングランド組”が重要な役割を占め、そのほかレイナ、アルベロア、シャビ・アロンソ(いずれもリバプール)もチームを支えた。加えて、1999年のワールドユース(現U−20W杯)優勝メンバーのシャビ、カシージャス(控えGKだったが)、00年のシドニー五輪の銀メダルリストのシャビ、プジョル、マルチェナ、カプデビラ、03年のU−17世界選手権(現U−17W杯)のファイナリストメンバーであるセスク、シルバら、若い時に国際経験を積んだ選手が多かったことも見逃せない。