永遠に続くフットボール巡礼の旅=ユーロ

中田徹

発達したパブリック・ビューイングの役割

ドイツ対スペイン戦でベルリンのパブリックビューイングに集まるドイツサポーター=29日、ベルリン 【REUTERS】

 ユーロ(欧州選手権)はワールドカップ(W杯)と違って、ヨーロッパという地域の大会にすぎない。ヨーロッパはどこも陸続きのようなものだから、自家用車、バス、電車、飛行機と、サポーターにとって移動の選択肢が豊富だ。中でも今回はオランダサポーターの気合いがすごかった。端からベルンやバーゼルでのスタジアム観戦をあきらめ、“ファン・ゾーン”と呼ばれるパブリック・ビューイングでの観戦目的でスイスまで訪れたのだ。初戦のイタリア戦で5万人と言われたオランダ人のパブリック・ビューイング観戦旅行者数は、準々決勝のロシア戦では15万人にも増えた。
「フットボールは宗教」とはよく言われる例えだが、パブリック・ビューイング観戦が流行になったオランダでは、その巡礼のような旅から「近代宗教」と改めて言われるようになった。

 決勝戦の日。ウィーンには10万人のドイツ人と、5万人のスペイン人が訪れたという。多くのサポーターはパブリック・ビューイングで試合を見たのだろう。当初はスタジアムで見たくてもチケットが行き渡らず、中へ入りきれない人たちに観戦の場所を提供していたパブリック・ビューイングが、今や観戦手段の主役に躍り出そうな雰囲気になっている。
 ぷらっと試合開始6時間ほど前のパブリック・ビューイングを訪れてみると、これは確かに楽しい。ヘルド広場から市庁舎前広場まで広い敷地の中に何枚もの大型スクリーン(その数7〜8枚ほどか)があった。その合間にはユーロスポンサー企業提供によるアトラクションがあり、大型熊人形の串刺しサッカーゲーム(これは老婦人にも人気があった)、観客席付きミニサッカー場での5on5、ラップコンサートなどで入場者が盛り上がっていた。
 屋台も豊富だ。ここに来ればオーストリア料理、メキシコ料理、インド料理、クレープ、焼きそば、フィッシュ・アンド・チップスなど、それなりの値段でいくらでも楽しめる。

 僕が初めて経験したW杯は1986年のメキシコ大会だったが、このときはまだ駅からスタジアムへ向かう途中は、ハンバーガーやタコスの屋台の匂いが充満していた。しかし現代のビッグイベントでは、そう簡単に屋台を出すことが許されない。その役目を現代ではパブリック・ビューイングが果たしているのだろう。
 パブリック・ビューイングではドイツサポーターが優勢だった。その一方でメキシコ、アイルランド、スコットランドから来た、大会参加国以外のファンも多く見られた。今大会の特徴は、スタジアムのスタンド風景が2カ国のサポーターで占められたことで、ニュートラルなファンが極めて少なかった。しかしパブリック・ビューイングへ来れば、簡単に世界から訪れたファンと出会えたわけである。
 疲れたり、ビールに酔ったら芝生の公園で寝そべるもよし。パブリック・ビューイングはお土産を買ったり、飲み食いをしなければタダで楽しめる。2時間ほどのパブリック・ビューイング散策は十分楽しめた。なるほど、今大会はパワーアップしたパブリック・ビューイングでの観戦に人気が集まったわけである。

当たり前のことが当たり前でない時代に

ドイツ対スペイン戦で試合を待つスペインサポーター=29日、ウィーン 【REUTERS】

 スペイン人はと言えば、大聖堂の辺りに集まって試合前の気炎を上げていた。ドイツのサポーターもいるにはいるが、まあ邪魔をしない程度に距離を置いて眺めている。こうして決戦前のウィーンはドイツとスペインが盛り上がりながらも、ピリピリしたムードはなく、町にたくさん配置された警官もリラックスした様子だ。
「今日の町はすごい楽しい雰囲気ね。警官もそんな表情なら、今晩は救急車も必要ないわ。今から決勝戦が楽しみだわ」
 出張帰りの夫を空港まで迎えに来たという、オーストリア人夫人がウィーンのカフェでこうまくしたてる。そういえば今大会は、ポーランド対ドイツでフーリガン騒ぎがあったものの、サポーター同士のぶつかり合いが極めて少ない楽しい大会だった。サポーターが築いた大会の雰囲気。これにピッチの上で戦う選手もフェアプレーと相手選手へのリスペクトで応えた。

 今大会はイエローカード(ユーロ2008=122枚、ユーロ2004=156枚)、レッドカード(ユーロ2008=3枚、ユーロ2004=6枚)が大きく減った。選手はぎりぎりのプレーをしているし、気持ちも高ぶっているだろうが、悪質なファウルはほとんどなく、相手チームの選手をリスペクトしながらプレーしているようだった。
 誤審はあったかもしれないがレフェリーは、“フェアプレーの大会”の影の主役だ。試合が荒れかかっても簡単にはカードを出さず、まずは選手を信用し、自制心に任せ、これはもう危ないと思ったときに初めてカードで落ち着かせるというジャッジが目立った。カードを散らつかせて選手をコントロールするのではなく、選手を信用して試合をコントロールしていた。

 例えば準々決勝でロシアがスペインに点を取られた後、少し荒いタックルが続いたが、レフェリーのデ・ブレーケレは57分、60分とわずか2枚のイエローカードで試合を落ち着かせている。
 決勝戦ではスペインのシルバが、ドイツのポドルスキに軽く頭突きを食らわすシーンがあった。最近の傾向だとやられた選手は大げさに倒れてレフェリーにレッドカードを促すのだが、ポドルスキは演技をしなかった。当り前のことではある。
 ペナルティーエリア内で強烈なチャージを食らっても、倒れず粘ってドリブルを仕掛け続けるストライカーも多かった。これも当たり前であってほしいプレーだ。
 われわれが日常見ているサッカーは、当たり前のことが当たり前でなくなっている。しかしユーロ2008という大舞台で、スター選手たちが当たり前なことを取り戻してくれた、何よりも、そのことが尊かった。

“ティキ・タカ”フットボールで優勝したスペイン

6月29日、サッカーのユーロ2008は決勝のスペイン対ドイツ戦を行い、スペインが1―0で勝利。1964年大会以来44年ぶりの優勝を飾った 【REUTERS】

 今大会はオランダがイタリア、フランスを攻め倒し、世界を驚かせた。
「これは1984年のフランス以来のすごいチームが誕生、そして優勝か」
 と思われたが、準々決勝でロシアがオランダの上を行った。アルシャービンというニューヒーローが誕生し、ヒディンクは韓国、オーストラリアに引き続き、ロシアでも英雄になった。しかしそのロシアも大会の主役にはなれず、スペインのワンタッチフットボールの前に準決勝で散った。

 こうしてユーロ2008は強いチームを、さらに強いチームが倒す展開で進んで行き、決勝でドイツを破ったスペインが44年ぶりにタイトルを獲得した。2006年のW杯で「これはティキ・タカ(tiqui-taca)・フットボールだ!」と母国スペインでも叫ばれたというワンタッチの小気味いいパスサッカーは、今では欧州の新聞でもティキ・タカ・フットボールと紹介されている。この大会は、「小柄な選手による中盤のパスサッカーも、極めれば欧州チャンピオンになれるんだよ」と教えてくれたし、「ドイツのようにセンターラインが弱く、攻撃のテクニックが物足りなくてもユーロの決勝に来ることができるんだよ」という、ちょっと納得していいのか悪いのか悩むようなことも教えてくれた。

 これで2007−08シーズンもおしまい。しかし、8月に入ればロシア対オランダのフレンドリーマッチ、またドイツ対ロシアのW杯予選の試合もそう遠くはない。何より、人知れずインタートトはもう始まっていた。オーストリアリーグももうすぐ開幕だ。ユーロというビッグイベントが終わっても、欧州のフットボール中毒者たちに休みはない。体は疲れて、財布もつらい。頭も朦朧(もうろう)としている。それでもユーロでいいものを見せてもらった充実感が、新シーズンへのモチベーションになるのだ。

<了>
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著者プロフィール

1966年生まれ。転勤族だったため、住む先々の土地でサッカーを楽しむことが基本姿勢。86年ワールドカップ(W杯)メキシコ大会を23試合観戦したことでサッカー観を養い、市井(しせい)の立場から“日常の中のサッカー”を語り続けている。W杯やユーロ(欧州選手権)をはじめオランダリーグ、ベルギーリーグ、ドイツ・ブンデスリーガなどを現地取材、リポートしている

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