新しいフランスが進む道=ユーロ敗退、その後

木村かや子
 熱が冷め、一歩ひいて早期敗退した代表を眺めたとき、その原因となったさまざまな失敗、食い違い、不運が浮かび上がってくる。フランスでは今、負けた原因は何だったのか、誰の責任か、次の監督は誰になるのか、といった話題で持ちきりだ。
 ユーロ(欧州選手権)は、スペインがきらめくスピーディなパス・サッカーで、ドイツがしぶとい勝負強さで世界を沸かせ、間もなく決勝を迎えようとしている。その一方で、寂しく敗れ去った国々は、すでに大会を忘れ、自分たちの未来を考えている。

否定できないドメネクの采配ミス

イタリア戦でレッドカードを受けたアビダル(左)。今大会のユーロにおいて、ドメネク監督の采配ミスは否定できない 【REUTERS】

「私は意志疎通のミスを犯した。これは2010年のためのチームだということを、最初にはっきり告げておくべきだった」。戦略的センスはなくとも、頭の回転は速いフランス代表監督ドメネクは、敗戦の直後にこう言って、早くも自分の職のディフェンスに入った。「2010年のためのチームを築くべきだった(つまりメクセスやフラミニら、もっと若い選手を招集すればよかった)」と選択を後悔しているのならば分かるが、「実は2010年を視野に築いていたが、それをはっきり言わなかった」という言い草が、どうも言い訳くさい。そこで翌日、記者たちが「その言い分は、ベテランを中心にしたあなたの選択と矛盾している」と突っ込むと、ドメネクは、「いやまったくそんなことはない。世代交代とは伝承なのであり、ベテランが若手に、その経験を伝えていかなければならないのだ」と反論した。

 ドメネクのミスと考えられることは、いくつかある。まず、大会前まで強みだった中央のディフェンスが本番に入ってから崩れたため、フィリップ・メクセスの選出漏れがいっそう惜しまれた。そして欲を言えば、もっと早くに彼を2番手としてチームに導入しておきたかった。ローマとともに欧州トップレベルの経験を積み、いいシーズンを送ったメクセスは、本戦に入って衰えを露呈したセンターバックの絶好の代役となるはずだった。しかし、リヨン出身のドメネクはどうもリヨンに傾倒しがちで、イタリアの新聞に「フランスにはもっとマシなのはいないの?」とばかにされたクレールには固執していたが、イタリア・セリエAの選手にはめっぽう冷たかったのだ。聞くところによれば、ユース代表時代、メクセスと当時ユース監督だったドメネクは、あまり馬が合っていなかったという。

 さらにアビダルをセンターバックにし、ほぼぶっつけ本番でギャラスと組ませるというのも、特に結果を見ると采配(さいはい)ミスだった。センターバック・ペアには、アタック・ペアに負けないくらいの意思疎通が必要だ。メクセスを外してあえてぱっとしないブームソンを選んだのは、リヨンの相棒スキラッチと組ませるためだと、皆が信じていたのである。また、さえないマルーダを使い続けたこと、対イタリア戦で10人になったときに、得点が必要だったにもかかわらず、潜在能力の大きいナスリを残さずDFを入れた引き腰な姿勢も、批判の対象となっていた。

 こんなわけで采配ミスがクローズアップされ、現在、主犯と見なされているのは監督のドメネクだ。もともと若手嗜好(しこう)で、2004−05年にベテランを急に退けすぎたことを責められた彼だが、今は「ワールドカップ(W杯)の思い出に引きずられ、発言とは裏腹に、ベテランに信頼を置き続けていた」と批判されている。ドメネク嫌いのサッカー賢者ギ・ルーなどは、フランスでは言葉を選んでいたが、スイスのテレビに出演した際には「W杯でのことが二度通用すると思っていた彼にはもう別れを告げ、新しいスタートを切るべきときが来た」と盛んにしゃべっていた。

選手側の4つの問題

 しかし、ドメネク監督に全責任をなすり付けるのはやや安易だろう。実際、大会前にテュラムらベテランの起用に異議を唱えるものは、ほとんどいなかったのだから。「第一の責任は、僕ら選手にある」とビエイラが言ったとおり、詰まるところ、選手たちがベストの状態でプレーしていなかったのである。選手たちの不発の原因は、大きく分けて4つ考えられる。まずは、耳にたこができるほど繰り返されている“長いシーズン後のエネルギーの欠如”だ。

 その証拠に、今大会はロシアやトルコなどリーグがそう過密ではない国の代表が、尻上がりにエネルギッシュなプレーを見せて勝ち上がった。一方でフランス代表は、フランス・カップ決勝が5月24日に組まれていたため、15日間しか準備期間を取ることができなかった。それでなくともコンディション作りが困難なベテラン選手が多いフランスにとって、これは大きな問題だった。実際、UEFA(欧州サッカー連盟)のミシェル・プラティニ会長は、いわゆる強豪が早めに消えていく様子を目撃した後、ユーロを8月に行うことを考慮すると発言した。スター選手であればあるほど多くのゲームをこなし、クラブとともにカップ戦も勝ち残るので、試合数が増える。その結果、ベストの選手たちが疲れ果て、強国が勝ち上がれないのであれば、欧州ナンバーワンを決めるためのユーロの意義も半減してしまうからだ。

 次に地元メディアは、アンリ、マルーダ、テュラムら、クラブでレギュラーの座を失ったり、不振で批判されていた選手たちが、良い試合のリズム、何より自信を失っていたことを理由のひとつに挙げている。そしてこの手の大会につきものの、運のなさもあった。今回のフランスには、大会の最後の方まで勝ち上がる勢いがなかったことは明白だ。しかし、その勢いがあるように見えたオランダやポルトガルがつまずいたように、グループ・ラウンドを抜けたら状況は急変しかねない。対オランダ戦のPKが見逃されず1−1となっていたら、オランダの調子が狂うこともあり得たわけだ。また対イタリア戦での不運の数々がなければ、やはり不調だったイタリアをしのぐすべはあったはず。しかし、運を引き寄せる力も、また実力の一部だった。

 そして、前述の自信喪失説とやや矛盾する第四の理由は、2002年W杯で見られた“慢心”だった。ユーロ敗退後、数日をおいて、初めてテレビのインタビューに答えたキャプテンのビエイラは、「おそらく僕らはあまりにリラックスし、自分たちの力、チームの能力に確信を持ち過ぎていた」と明かしている。つまり、引退を決めたジダンが、チーム内に「何が何でも勝つ」というぴりぴりした空気を注ぎ込んでいたW杯時と違い、大会前に見られた和やかなムードが裏目に出たというのだ。

 2006年は緊張感の中で勝利を重ね、チームがまとまっていった。だが今回、初戦で失敗して自信を失ったレ・ブルー(フランス代表の愛称)は、意に反した試合を重ねるうちに、まとまりを失ったと言われている。本国では、試合後のロッカールームへと引き上げるトンネルの映像から、ベンゼマとマケレレ、エブラとビエイラが仲違いしているといううわさが流れた。もっとも選手たちは、「チーム内の雰囲気は常に友好的だった」と言って、この嫌疑を強く否定している。

 そして最後に言わせてもらえれば、フランスにはチームの頭脳となる選手が欠けている。それはこのユーロに始まった問題ではない。かつてはデシャンが、そして2006年にはジダンが行っていた役割、つまりビジョンに優れ、オーケストラの指揮者となれる選手がいないのだ。監督がその指揮者となれる場合もあるが、今回はそのケースではなかった。

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著者プロフィール

東京生まれ、湘南育ち、南仏在住。1986年、フェリス女学院大学国文科卒業後、雑誌社でスポーツ専門の取材記者として働き始め、95年にオーストラリア・シドニー支局に赴任。この年から、毎夏はるばるイタリアやイングランドに出向き、オーストラリア仕込みのイタリア語とオージー英語を使って、サッカー選手のインタビューを始める。遠方から欧州サッカーを担当し続けた後、2003年に同社ヨーロッパ通信員となり、文学以外でフランスに興味がなかったもののフランスへ。マルセイユの試合にはもれなく足を運び取材している。

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