限界を露呈したヒディンク・ロシア=ロシア 0−3 スペイン

中田徹

準決勝に向けて夢を膨らませるロシアだったが……

ロシアを準決勝まで導いたヒディンクだったが、スペインとの再戦でチームの限界を露呈させた 【Getty Images/アフロ】

 ユーロ(欧州選手権)の熱が、だんだん局地的になっていく。大会開催を終えたベルンの町を歩くと、そこにはもうオレンジ酔いした日々のあの熱気はもうなく、ただ日本人の団体観光客が名物の時計台の音を聞きにやって来くるだけだった。「オランダの猛攻に心酔したあの日々は夢だったのかな」と、思わずほっぺたをつねりたくなるほどだ。
 宿のあるインスブルックの町も、ユーログッズの安売りが始まっているが、買い手がいるようには思えない。ユーロが終わりを迎えつつあるというのを実感せざるを得ない。
 その一方で、準決勝の開催都市と、それを戦う当該国の4カ国はヒートアップした。6月26日は、準決勝の2試合目、ロシア対スペインを取材した。

「845ユーロ(約14万円)」。準決勝前日のスペイン紙は、駆け込み応援ツアーを大々的に応募していた。個人でウィーンに飛ぶ人のために、新聞はエアチケットの高いウィーンを避け、近郊の都市へ飛ぶ方法を読者に伝授している。
 スペインの電器屋では、ウィーンまでは応援に行けない人々が大型テレビを買い求めて、大にぎわいだそうだ。準々決勝で敗退したオランダは“ユーロ景気”が思ったほど伸びなかったそうだが、スペインの“ユーロ景気”は続いている。

 ロシアも沸いている。主役はヒディンク監督だ。
 2002年のワールドカップ(W杯)で韓国を4位に導いた時、ヒディンクの名前は「ヒ・ドゥンク」となり、生まれ故郷のファルセフェルトは韓国人でにぎわった。2006年のW杯では、ヒディンク率いるオーストラリア代表がベスト16進出に成功し、ファルセフェルトは“ヒディンク・タウン”と呼ばれた。そして今、ロシアの快進撃に町の名前は“ヒディンク・グラード”となった。
 21日、ロシアが準々決勝でオランダを破ると、モスクワの町の通りには70万人の市民が勝利を祝ったという。コーチのコルネーフは「これは第2次世界大戦の終戦日以来のことだ」という。

「母国を破ったことで、オランダにいられなくなったなら、ロシアのパスポートを取ればいい」とヒディンクに帰化を勧めたのがメドベージェフ大統領。生まれた子供の名前に“グース(ヒディンクのファーストネーム「Guus」のロシア語読み)”と名付ける親まで出てきた。
 ロシアの夢はどんどん膨らんだ。しかし準決勝のスペイン戦、ついにロシアの選手たちはレフェリーに「笛を早く鳴らしてくれ」と願わんばかりの顔をしながら歩いていた。今大会、大健闘を見せたロシアだが、とうとうエネルギーをすべて使い果たし動けなくなってしまった。
 0−3。ロシアの完敗だった。

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著者プロフィール

1966年生まれ。転勤族だったため、住む先々の土地でサッカーを楽しむことが基本姿勢。86年ワールドカップ(W杯)メキシコ大会を23試合観戦したことでサッカー観を養い、市井(しせい)の立場から“日常の中のサッカー”を語り続けている。W杯やユーロ(欧州選手権)をはじめオランダリーグ、ベルギーリーグ、ドイツ・ブンデスリーガなどを現地取材、リポートしている

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