“死のグループ”を突破したものの……
グループCを勝ち抜く2チームはどこか。それを事前に予想できる人はほとんどいなかった。イタリアとフランスは、2006年ワールドカップ(W杯)・ドイツ大会のファイナリストであったし、オランダとルーマニアはヨーロッパで最も危険な国だった。
どこが抜けるかは予想困難だったが、このグループを勝ち抜けるほど強いチームならば、ベスト8以降は当然優勝候補になると考えられていた。それについては、皆、口をそろえていたものだ。
そこで、何が起きたか。イタリアは悲惨な敗北を喫し、スペイン相手にフットボールをやろうという気概さえ見せられなかった。素晴らしいスタートを切ったオランダも、さらに素晴らしいロシアに圧倒された。
だが、歴史を振り返ってみれば、ビッグトーナメントの“死のグループ”の勝者が、意外と早く敗退するケースは過去にもある。むしろそのほうが多いぐらいだ。
2年前にさかのぼってみよう。ドイツW杯での“死のグループ”は、やはりグループCだった。グループCにはセルビア・モンテネグロ(当時/W杯予選では最も失点の少なかった国)、コートジボワール(アフリカでは最強だった)、そしてオランダとアルゼンチンが同居した。だが、セルビア・モンテネグロは奇妙なことに自慢の守備が崩壊し、アルゼンチンに0−6で敗れ、早々に脱落が決まった。コートジボワールも競り負け、オランダとアルゼンチンが勝ち抜けた。
この時点で、アルゼンチンは大会優勝候補の一番手と考えられていた。だが、アルゼンチンは準々決勝でドイツにPK戦で敗れ、オランダは決勝トーナメントの最初のゲームでポルトガルに負け、ベスト8にも残れなかった。
その2年前、ユーロ2004の“死のグループ”はドイツ、チェコ、オランダ、ラトビア。この場合は3強1弱だが、3強のうち1つは脱落という厳しさがあった。結局、チェコとオランダが生き残り、ドイツとラトビアが敗退した。
この段階ではチェコが素晴らしいサッカーを見せていたが、チェコとオランダはそろって準決勝で敗退した。さらに2年前の日韓W杯では、グループFがアルゼンチン、イングランド、スウェーデン、ナイジェリアとなっていた。驚くべきことにアルゼンチンは敗退し、スウェーデンが1位通過を果たし、イングランドがそれに続いた。
だが、スウェーデンはセネガルに、イングランドはブラジルにあっさりと敗れ、決勝に近づけなかった。
ユーロ1992ではグループ2が、ドイツ、オランダ、ルーマニア、ソ連(大会はCIS/独立国家共同体として参加)という組だった。ドイツは決勝へ、オランダは準決勝へ進出したが、両者の敗れた相手は、大会1週間前にユーゴスラビアの不参加で代替出場が決まったデンマークであった。
1990年のイタリアW杯ではアルゼンチン、カメルーン、ルーマニア、ソ連が“死のグループ”に属した。アルゼンチンは決勝まで上り詰めたが、西ドイツ(当時)に0−1で敗れ、タイトルを逃した。
さて、“死のグループ”ができあがるには理由がある。強豪国以外が共同開催すれば、必ずこうなる。今回のユーロ(オーストリアとスイス)や2002年の日韓W杯や、次回のユーロ(ウクライナとポーランド)もそうなるだろう。開催国2チームが第1シードになるので、本来ならトップシードのはずの強豪国が第2シードとなり、自動的に厳しいグループが生まれる。
今回のユーロでは、さらにまずいことに前回優勝のギリシャがトップシードになったので、“死のグループ”は必然だった。ただ、“死のグループ”の歴史を振り返ってみると、特定の犠牲者がいることが分かる。オランダとアルゼンチンだ。
2002年の日韓W杯の決勝まで、ドイツとブラジルはW杯で対戦したことがなかった。両国の長い歴史を考えれば、偶然では片付けられない。これはFIFA(国際サッカー連盟)前会長のブラジル人、ジョアン・アベランジェの影響が1つ。さらにFIFAのドイツ語グループにドイツ人が影響力を持っていたことが2つ目に挙げられる。ブラジルとドイツは、互いを回避していたと考えるのが自然だ。
アフリカ諸国も死のグループの常連だ。カメルーン、ナイジェリア、コートジボワールと、その大会で最強のアフリカチームが3度も“死のグループ”に振り分けられている。“死のグループ”に組み込まれると、たとえそこを抜け出しても遠くまで行けないことが多い。4〜5週間もスピードやフィジカルコンディションを最高の状態に保っておくことは、無理な相談なのだ。
さて、次の犠牲者は誰なのだろう。
<了>
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