愛され、敗れ去ったビリッチ=クロアチア 1(1PK3)1 トルコ

誰からも愛される監督

クロアチアのビリッチ監督は今大会で強烈な印象を残した 【Getty Images/アフロ】

 現在のサッカー界において、代表監督ほど困難で、最も報われない仕事はないだろう。世界中のどこにでもそれは当てはまり、事実、昔からそう言われ続けてきた。
 家庭内に“嫁と姑(しゅうとめ)”の問題があるように、サッカーには“監督とメディア(またはサポーター)”の問題が存在する。

 ユーロ(欧州選手権)1996でドイツにタイトルをもたらした当時のドイツ代表監督ベルティ・フォクツは、次のように言い放った。
「監督という仕事は、すべての人間を満足させることはできない。メディアに対しては特にそうだ。監督としてどんな仕事をしても100点満点の評価は得られない。たとえ、私が水の上を歩くことに成功しても、『あいつは泳ぐことはできない』と批判する人間もいるだろう」

 それでも、今大会のユーロには多くの人間から好まれ、尊敬される代表監督が存在する。彼の名前はスラベン・ビリッチ。クロアチアの代表監督である。
 クロアチア・スプリット生まれの39歳の若き指揮官は、多くのサポーターから愛されている。ビリッチは人間的に魅力のある人物で、熱血漢と威厳を兼ね備えたその人格は、多くの人間を魅了し続けている。彼には人々を引きつける人間くささがある。
 しかし最も評価されていることは、2006年7月の代表監督に就任以降、彼の目指すサッカーに内容と結果が伴っていることにほかならない。このことが、彼が愛され続けている一番の要因である。

法学部出身でギタリスト兼サッカー監督

 ビリッチの人気の高さは、クロアチアサポーターの反応からもうかがえる。準決勝進出を懸けたトルコ戦では、彼が多くのサポーターから愛されていることをあらためて認識させられた。
 試合開始直前、スタジアムのスピーカーからクロアチアのスターティングメンバーが発表された。選手の名前が一通り読み上げられると、最後に残ったのは監督の名前であった。「クロアチア代表監督、スラベン……」とアナウンスされた直後、スタジアムに詰め掛けた1万5000人以上のクロアチアサポーターは、「ビリーッチ!」と大声援を送ったのだ。選手以上にサポーターから声援を掛けられる監督は、私は今まで見たことがない。

 今大会中、最も若い監督であるクロアチア人のスラベン・ビリッチは、法学部を卒業し、余暇にはギターを持ち歩き、演奏に余念がないという。彼はロックグループ“Rawbau”のギタリストで、ユーロ開幕前には“バトレノ・ルディロ”(クロアチア語で炎の狂乱)というチーム応援歌を自ら作曲した。

 もちろんビリッチは音楽の才能だけでなく、サッカープレーヤーとして十分な素質を持っていた。クロアチアのハイドゥク・スプリットで頭角を現したあとは、ドイツのカールスルーエ、イングランドのウェストハム、エバートンでプレー。1998年のワールドカップ・フランス大会では、クロアチアの3位快挙を成し遂げたときのメンバーであった。

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著者プロフィール

1961年2月13日ウィーン生まれ。セルビア国籍。81年からフリーのスポーツジャーナリスト(主にサッカー)として活動を始め、現在は主にヨーロッパの新聞や雑誌などで活躍中。『WORLD SOCCER』(イングランド)、『SID-Sport-Informations-Dienst』(ドイツ)、日本の『WORLD SOCCER DIGEST』など活躍の場は多岐にわたる

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