フランス黄金世代に「ありがとう」と「さよなら」を=フランス 0−2 イタリア

木村かや子

ジダンの亡霊、英雄の引退

グループリーグ敗退が決まり、肩を落とすフランス代表のアンリ(左)とクーペ 【REUTERS】

 レ・ブルー(フランス代表の愛称)が新しい一歩を踏み出すには、このドラマッチックな“墜落”が必要だった。フランスが1分け2敗という成績でユーロ(欧州選手権)2008からはじき出された夜、ユーロ2004の後に一度引退し、復帰したジダンに無理やり呼び戻された2人――マケレレ(35歳)とテュラム(36歳)は、代表からの引退を表明した。思えばこれは、2004年に起きていたはずの、来るべくして来た終焉(しゅうえん)だった。ただ、06年ワールドカップ(W杯)での決勝進出というジダンが起こした奇跡によって、それが4年ほど遅れただけだったのだ。

 ジネディーヌ・ジダン。彼の名は、その引退から2年たった今も、繰り返しささやかれている。偉大すぎる先輩に続く者たちにとって、人生は楽なものではない。

「ジダン……ああ、彼がいないことを寂しく思う。僕らの状況が非常に厳しくなり、人々は去ってしまった彼について話したがっている。でも、彼はもういないんだ」
 初戦でルーマニアと引き分け、続くオランダ戦に敗れ、第3戦を前にフランスが危機に陥っていた6月15日、リベリーはこう言っていた。
「ボールが足もとにあれば、たちまち3本のゴールを生み出せるような選手だった。体が衰えてからも、プレーだけでなく、その存在感でチームに多くの実りをもたらすことのできる人だった。でも今、僕らは別のやり方でプレーすることを学ばなければ」

 フランスはベテラン守備陣の突然の崩れによってオランダに敗れ、第3戦でルーマニアがオランダに勝てば、イタリア戦の結果にかかわらず、グループリーグ敗退という事態に陥っていた。レイモン・ドメネク監督は突然、対イタリア戦では若いチームで臨む可能性を示唆した。
「何人かの若い選手たちが、非常に高いレベルがどんなものかを見る手助けをせずに、大会から去る危険を冒していいのだろうか。私はまだ、心を決めかねている……」

イタリア戦での新鮮なスタメン

開始早々のリベリー(奥)の負傷交代が、試合の行方を左右した 【REUTERS】

 そして迎えた、グループC2位の座が懸かった第3戦の対イタリア戦。ピッチに入ったフランス代表イレブンは、指揮官の言葉を半ば映すものとなっていた。対オランダ戦の守備的ミスで戦犯扱いされたベテランのテュラムとサニョルが外れ、センターバックはギャラスとアビダル、右サイドバックはクレール、左サイドバックはエブラという布陣に。守備的中盤は変わらずマケレレとトゥララン。右ウイングにはゴブー、左ウイングにはリベリー、2トップにはベンゼマとアンリが入った。

 予選からぱっとしないプレーを続けていたフランスを見慣れた者にとって、この日のスタメンの顔ぶれは新鮮で、ある意味でいい空気を感じさせる布陣だった。このチームの原動力は、所属クラブのバイエルンでプレーしているのと同じ左サイドからスタートし、自由に動き回る権利を与えられたリベリーだ。「何かが起こるのでは」というポジティブな予感さえ感じさせた。しかし反対に、この日徹底的に運に恵まれていなかった彼らは、これでもかというほどの災害に襲われる。

 まず7分に、リベリーがザンブロッタと衝突して負傷。「痛みがあったって、僕はいつでもプレーする」と言っていたリベリーが、すぐに医師団を手招きして呼んだほど深刻な故障だった。このチームの攻撃の仕掛け人となるはずだったリベリーの負傷退場は、フランスの計画のすべてを狂わせた。しかし、代わりに投入されたのが、若くて創造力があり、“ジダン2世”と呼ばれるようになって久しいナスリだったため、これだけならまだしのぎようがあったはずだ。
 しかし、苦境に負けずフランスが攻撃を仕掛け始めた矢先の24分、テュラムの代わりにこの日センターバックの役を任されたアビダルが、ペナルティーエリア内でトーニに対してファウルを犯し、レッドカードをつき突けられる。ちなみに、サイドバックとして知られるアビダルが、センターでの方が力を発揮できるのではないかと見る者は、フランス国内に少なくなかった。しかし結局、アビダルのセンターバックぶりを観察する機会は、20分あまりで終わってしまったわけだ。

フランスに畳み掛けられた不運

 こうしてフランスはピルロの決めたPKで早々にリードを奪われ、75分を10人で戦う羽目に陥る。チーム再編成のため、ようやく出場機会を得たナスリは、わずか16分でDFのブームソンにその場所を譲った。これは、メンバーが10人に減ること以上に残念だった。というのも、限りない才能を持つ若手プレーメーカーのナスリが、この緊急事態の中でついに目覚めるか、内心楽しみにしていたからである。フランスはアンリとベンゼマの連係を中心に、それでも攻撃を仕掛け続けるが、リベリーあるいはナスリというサポート役を持たないトップの2人はどこか孤立していた。

 しかし、不運はここで終わらなかった。62分、デ・ロッシの蹴ったフリーキックがアンリの足に当たって方向を変え、ゴールに滑り込んでしまったのだ。ここまで来ると、ドメネク監督が言っていた、敗退が「運命に書かれている」という言葉を信じたくなる。
 試合前から嫌な予感はあった。というのも、グループ突破を信じて比較的明るかったイタリアメディアと違い、フランスの記者たちはオランダ戦後、「イタリア戦で負けたらもう帰国する」とか、「洗濯物がたまっているので、ちょうどいいタイミングだ」とか言って、もう終わったムードになっていたのである。

 しかしそれは、ドメネク監督の意図するところと別の形で起こった。もし、この若いチームが大健闘して負けたなら、2010年W杯を視野にチームを築くと言っていた指揮官の顔も立ったことだろう。しかしフランスは、これ以上ないというほどめちゃめちゃの状態に陥った。献身的に走り回ってはいても、結局ゴールは決められず、ゲームプランも感じられなかった。大してさえていたわけでもないイタリアに負けるというシナリオは、逆に、ドメネクが去ることを運命に書き込んだかのように見えた。

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著者プロフィール

東京生まれ、湘南育ち、南仏在住。1986年、フェリス女学院大学国文科卒業後、雑誌社でスポーツ専門の取材記者として働き始め、95年にオーストラリア・シドニー支局に赴任。この年から、毎夏はるばるイタリアやイングランドに出向き、オーストラリア仕込みのイタリア語とオージー英語を使って、サッカー選手のインタビューを始める。遠方から欧州サッカーを担当し続けた後、2003年に同社ヨーロッパ通信員となり、文学以外でフランスに興味がなかったもののフランスへ。マルセイユの試合にはもれなく足を運び取材している。

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