「テリミズム」が引き起こしたドラマ=トルコ 3−2 チェコ

渡邉将之

トルコメディアはテリムへの不信感を募らせた

メディアからの批判にさらされていたテリム監督 【Getty Images/AFLO】

「テリミズム」
 初戦のポルトガル戦で0−2と完敗した翌日、『サバハ』紙で評論家のカズム・カナト氏は敗因としてこの言葉を用いた。「テリム」+「イズム」を掛け合わせたこの言葉の意味は、「一般人には理解できないテリムだけのサッカー哲学」というテリムへの皮肉が込められている。カズム氏だけではなく、多くの記者、評論家がポルトガル戦の翌日、敗因をテリムに求め、批判は爆発した。
「インパラトル(皇帝)の終えん」
「テリムの監督としての経歴の最後」

 トルコは大会前のドイツキャンプで3試合の親善試合を行った。結果的には2勝1敗とそれなりの結果を残したが、内容は決して褒められたものではなかった。初戦のスロバキア戦こそ予選で使い慣れた4−4−2を使用したが、次のウルグアイ戦では4−1−4−1、最後のフィンランド戦では4−3−3と毎試合違うシステムを使用。戦い方も、パスをつなぐサッカーが本来の姿にもかかわらず、試合によってはロングボール一辺倒であったりと、チームの方向性が定まっていなかった。
 選手間の連係ミスも多く、本大会への仕上げの場にもかかわらず、チームの完成度は低かった。ユーロ(欧州選手権)2008の予選でも方向性を見いだすことはできず、テリムへの信頼は薄かったが、大会直前のこの段階でも迷走を続けるチームとテリムに対し、メディアは不信感を募らせ、警鐘をならし続けた。

 しかし、テリムは一貫して、チーム作りは順調で何も問題がないことを強調した。
「ポルトガルから勝ち点を取れば、グループを突破できる。私たちにはそれを成し遂げる力がある」
 こうしたテリムの言葉にイライラを募らせていたメディアが、何もできずに敗れたポルトガル戦後に爆発したのだ。メディアはテリムへの信頼を完全に失っていた。

チェコ戦はテリムとトルコメディアの最終決戦

 ポルトガル戦を受けて、希望を持てずに迎えたスイス戦。試合前のメディアには悲観的な雰囲気が漂っていた。『ミリイェット』紙のエルハン氏もその一人。
「スイスは開催国で難しい相手だ。これほど追い込まれた状況でこの試合を迎えるとは正直思っていなかった。ポルトガル戦のトルコは何もできず、後に引きずる悪い内容だった。テリムも何を考えているか分からない。この試合で期待できることは少ない」

 しかし、試合はこうした予想を裏切り、トルコがロスタイムで逆転劇を収めた。試合後の報道は、この勝利を称賛し、グループリーグ突破に向けて大きな勝利として報じた。特に決勝ゴールを挙げたアルダにフォーカスし、彼の重要性を大きく取り上げた。というのも、アルダはポルトガル戦で出場する機会がなかったからだ。まだ21歳と若いが、所属するガラタサライでは主力として昨シーズンの優勝に貢献した選手であり、代表でも活躍が期待されていたが、テリムの構想ではベンチに座ることが多かった。
 スイス戦で後半から出場し、同点ゴールを奪ったセミヒにしても状況は同じだ。昨シーズンのリーグ得点王にかもかかわらず、テリム体制ではサブの切り札程度の評価でしかなかった。メディアはこの2人の重要性を大会前から常に説いては、テリムのさい配にケチをつけていた。

 因縁の相手スイスに歴史的勝利を収めたにもかかわらず、テリムを称賛する記事は少なく、彼の監督としての実力にはまだ半信半疑だった。テリムを評価するのは、グループリーグ突破が懸かったチェコ戦。ここで本当のテリムの評価を下そう、という姿勢が見られた。
 テリムは前日会見で繰り返される批判に対して怒りを隠さなかった。
「今ここでメディアに関して話したくない。イスタンブールに戻ってからメディアとの関係について話して決着をつけたい」
 テリムとメディアの最終決着。そんな状況でチェコ戦を迎えたのである。

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著者プロフィール

1979年生まれ、法政大学卒業。2003年からトルコに滞在し、トルコサッカーに漬かる日々を過ごす。ベシクタシュの本当のサポーターになるべく、ベシクタシュが拠点を構えるベシクタシュ地区に滞在し、日々サポーターと親交を深めている

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