聖守護神カシージャスの“内なる狂気”=スウェーデン 1−2 スペイン
味方の反撃を信じる守護神
スウェーデン戦で決勝点を決めたビジャと抱き合うスペイン代表GKカシージャス 【Getty Images/AFLO】
しかし、それも一瞬のこと。彼はすぐに思い返したように、悟りを開いた禅僧のような静かな表情を取り戻していた。
「トランキーロ」(慌てるな)。彼は味方の混乱を沈めるように鼓舞した。
「試合を支配しているのは俺たちだ。ピッチにはスペインしかいないも同然じゃないか」。同点には追いつかれたが、彼は仲間の反撃を固く信じているようだった。そして時間は費やしたものの、その信念は結果となって報われた。後半ロスタイム、自陣深くからの縦パスに追いついたダビド・ビジャが決勝点。タッチラインにはゴールの歓喜の輪が生まれ、彼は当然のようにそこまで駆け寄った。
2−1。スペインはスウェーデンを破り、決勝トーナメント進出の切符をつかんだ。
「浮かれてはいけない。今はこの時を祝いながら、次の戦いに備える」
スペイン代表主将、イケル・カシージャスはいつものように淡々と言った。この日、彼の果たした貢献度は少なかったようにも見える。だが、その存在はこれからの無敵艦隊の命運を握ることになるはずだ。
カシージャスの異なるもうひとつの人格
「スペイン人サッカー選手の中で、二人に一人の少年少女がカシージャスにあこがれている」という統計が出た。ユーロ(欧州選手権)2008を前に行われたもので、これまでトップだったラウル、バルセロナの闘神プジョルを押さえて、現代表主将は46%の票を得た。守護神に期待しているのは子供たちだけではない。ユーロを放映しているTV局、クワトロとカナルプルスは選手をサイボーグ化するCMにカシージャスを起用している(ちなみにもう一人はフェルナンド・トーレス)。
イケル・カシージャス。人は彼を「聖なる守護神」と敬い、祈りをささげる。
「自分の試合をビデオで見ていると、不思議な気持ちになるんだ。ピッチにいる自分は自分ではないような気がして。とにかく普段では考えられないすさまじい形相をしているしね。たぶん、絶対に失点してはいけない、とあらゆる神経を集中することで、違う人格が現れるんだ」
それはほかならぬ、カシージャス自身の言葉である。
キーパーグローブを装着し、ゴールポストにあいさつをしているうちに、カチっとスイッチが入る。仮面ライダーやウルトラマンのように姿形は変わらなくとも、青年は何者かになる。1対1に抜群の強さを見せ、反射新神経にも優れ、ことごとくシュートをセーブしてしまう。「どうか止めてくれ」と心から祈れば、彼はその神通力を見せてくれる。
孤独を与えられる特別な存在
「自分はスターになるとか、ならないとか、そんなことに興味はない。ただ、GKとしての仕事をするだけだ。それはやはり失点をゼロにするということになるかもしれない。そのために100パーセントの練習をしているわけだから」
カシージャスはそう語るが、GKはそもそも損な役回りだ。ほんのわずかなミスが失点につながると、仲間を絶望させ、応援するものを失意に追い込んでしまう。守ることが任務の彼らは、いくらその後に窮地を救ったとしても、味方の信用を取り戻すことは難しい。
GKは、FWのように「次のチャンスを決めればいいや」と開き直ることはできない。あるいは失点が自ら招いたものではなかったとしても、敵に得点を奪われれば、まるで罪人のようなひどい扱いを受ける。
11人の仲間がいても、手を使えるのはGKだけだ。特別な存在だからこそ、彼らには誰にも理解されない孤独が与えられる。のしかかる責任の重さ。それにつぶされることなく、自らのプレーを全うするには普通の神経ではいられない。
だからこそ、彼らは“心の中に狂気を飼っている”と言われる。