ベッケンバウアーに壊されたサッカーのセオリー=金田喜稔が語るユーロの記憶

構成:スポーツナビ

ベッケンバウアーやクライフら、ユーロで活躍した選手たちと実際に対戦したことがある金田氏 【スポーツナビ】

●●4年に一度、ヨーロッパ最強の代表チームを決める大会、ユーロ(欧州選手権)2008が6月7日に開幕する。世界のトップレベルの国ばかりが集うユーロのレベルは、ワールドカップ(W杯)以上とも言われる。この大会を地上波で放送するTBSの解説者を務めるのは、元日本代表の金田喜稔氏。金田氏とユーロの出会いは1976年大会。当時、日本ではまだユーロはあまり知られていない大会だったが、金田氏は初めて生で見たトップ選手のプレーに衝撃を受けたという。以降、金田氏は日本代表の一員として、ユーロで活躍した数々の名選手と対戦してきた。実際に肌で感じた“レジェンド”たちは、どのような選手だったのか、貴重な実体験を聞いた●●

衝撃的なユーロとの出会い

 僕は高校3年のときにユース代表に選ばれて、旧ユーゴスラビアのリエカで行われた国際ユース大会に行ったことがあるんです。そのときに、監督たちに連れられて試合を見に行くと、ドイツやオランダが試合をやっているんですよ。僕は海外で国際ゲームを見たのはそれが初めて。監督はユーロ(欧州選手権)を見に行こうと言ったはずなんですが、僕の頭の中にはワールドカップ(W杯)しかなくて、ユーロと言われても何の大会か分からないし、ヨーロッパでそれなりのゲームをやっているんだろうという認識しかなかった。
 1974年のW杯はドイツ対オランダの決勝だったわけですが、そのチームが試合をしている。ベッケンバウアーがいるし、シュバルツェンベックらもいたと思います。W杯の決勝を戦った選手が何人も出ているので、これはすごい大会なんやなと。それが初めての生のユーロの体験です。

 強烈に覚えているのは、ユーゴの左利きで左ウイングだったドラガン・ジャイッチ。それまでは、ブラジルのガリンシャやイングランドのマシューズのように、ウイングというのは相手DFを振り切って縦に行ってクロスを上げるのが仕事。その職人がサイドにいたわけです。でもジャイッチは、DFを縦に抜くんじゃなくて、外にボールを出してからクロスを上げる。当時、それは“魔球”と言われていました。そんなにゴールから遠い方にドリブルしていってクロスを上げるというのは、そうとう曲げて中に戻さないと上がるわけないんです。内転筋が強くないとできない。それを見たときに、「こんなやつが世界におるんか」と思いました。今でこそ、そういうクロスを上げる選手は出てきていますが、当時は衝撃でした。

 あとは、ベッケンバウアーです。右サイドから相手のウイングが、ニアサイドにクロスを上げたときです。当時のGKマイヤーがゴール前にいて、ベッケンバウアーがニアのパスコースを消していた。で、クロスが低くて、ベッケンバウアーのところにボールが飛んできたんです。これは点にならないというのは分かっていたんですけど、ベッケンバウアーはけっこう強いクロスボールをワンタッチのインサイドで、マイヤーに返したんです(※当時のルールではGKへのバックパスが認められていた)。下手したらオウンゴールですよ。それを見たときに、「こんなことってあるのか」と。だって、オウンゴールになる危険性があるわけだから。
 当時のユースの監督やコーチは、「お前らこれ絶対にやったらダメだぞ! まねするなよ」と、見られたら困るという感じで慌てて僕らに言ってきた。でも、僕はそれを見て、「いや、うまいやつはこれをできるんやな。うまかったら許されるんやなと」思いましたね。だって、監督はベッケンバウアーのプレーに怒ってなかったから。ベッケンバウアーはそれくらい技術に自信があったし、バイエルンで組んでいるマイヤーとの信頼関係もあった。普通はクリアするところを味方GKに返す。マイヤーもそれを何食わぬ顔して取っている。ということは練習でやっているということ。戻されたマイヤーは慌ててなかったから、「こいつらおかしいわ。そんなのサッカーのセオリーにないよ」と思いましたね。

すごかったのはクライフとベッケンバウアー

ベッケンバウアー(左)がユーロ76で見せたプレーに、当時の金田氏は大きな衝撃を受けたという 【AFLO FOTO AGENCY】

 僕は、ユーロやW杯に出た選手とけっこう試合をやっているんです。ベッケンバウアーや、ペレ、ブロヒンやキーガンともやっている。ペレはサントスやNASL(北米サッカーリーグ)のニューヨーク・コスモス、クライフもNASLのワシントン・ディプロマッツで来ました。

 欧州の選手で実際にやってすごかったのは、クライフとベッケンバウアー。レベルが違う。ベッケンバウアーは代表を引退してニューヨーク・コスモスで来たんですけど、彼のボールコントロールは練習して身に付くものじゃなかった。例えばアウトサイドキックでも、直線的にドリブルしながらアウトサイドで蹴っていた。普通はどうやったって「アウトを使うぞ」という体勢になるけど、彼はならない。ルックアップしたまま、真っすぐドリブルしてひざから下だけで蹴れるので、(パスコースが)読めない。彼はリベロというポジションを世界で初めてやったわけですが、72年のユーロで優勝したときのサッカーは、ベッケンバウアーがいないと成り立たないサッカーだった。

 ニューヨーク・コスモスにはベッケンバウアーもペレもいて、キナーリア、カルロス・アルベルトがいてね。今だとあり得ないけど、国立競技場は通路まで入るくらい満員。僕はそのとき学生で、相手はみんなテレビで見た選手。代表デビューして以来、初めて緊張しましたよ。ディフェンスで一生懸命チェックにいくわけですよ。でも、回った先は全部スーパースター。取れるわけないって、うまいんやもん。ベッケンバウアーに行って、キナーリアに行って、ペレに回されて、追いかけていくたびにスーパースターよ。ボールを取るというよりもスーパースターに会える、みたいな感じでね、緊張したけど楽しかった。

 クライフも、日本で屈強と言われていたDFが、ファウル覚悟でぶつかったのに逆にぶっ飛ばされたからね。細そうに見えるけど、めちゃめちゃ速いし、体幹が強いんだよね。

 ブロヒンがいたソ連も来たね。こいつも、ディナモ・キエフやソ連代表で、ベッケンバウアーとかをぶっちぎってチャンスを作っていた選手で、バロンドール(欧州最優秀選手賞=当時)を取ったこともある。「ブロヒンというのがおるのか」と雑誌で知っていたけど、それがなぜか知らないけど日本に来てね。やったんだけど、「こんな強いところ呼ぶんじゃねーよ」って感じで(笑)、1−4くらいでチンチンにされた。誰もボールを取れない。ブロヒンなんて、サイドで日本のDFと5メートルくらい離れてたのにポンっとボールを出してぶっちぎったもんね。ソ連代表だからみんなうまいわけよ。あれはゲームやってて、楽しくなかったねえ。「もっと弱いところ来てよー」って(笑)。

1/3ページ

著者プロフィール

スポーツナビ編集部による執筆・編集・構成の記事。コラムやインタビューなどの深い読み物や、“今知りたい”スポーツの最新情報をお届けします。

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント