全仏オープンテニス、森上の八百長疑惑の真実=五輪重視から生まれた、五輪への冒涜

テニスネットPro

誤解から始まった森上の八百長疑惑

ダブルス敗退後の発言が問題を引き起こしてしまった森上亜希子。彼女にとって後味の悪い全仏オープンとなってしまった 【Photo:ロイター/アフロ】

 本当に胸の痛む騒動だった。今後の成り行きを考えてもとにかく心苦しい。
 日本でも報じられた森上亜希子(ミキハウス)の八百長疑惑。予期せぬ展開に、日本の関係者は皆腰が引けてしまったが、その発端を今一度整理するとこうなる。
・ダブルス1回戦で森上/中村藍子(ニッケ)組が台湾ペアに0―6、1―6で完敗
・その後の記者会見で森上が試合の前に某ナショナルコーチ(名指しはせず)から「あんまり勝ってほしくないんだよね」と言われた、と怒りをぶちまけた
・このコーチは、中村を翌週行なわれる英国サービトンでのITF(国際テニス連盟)大会に出させたかった
・中村は北京五輪に出場できるランキングに達しておらず、この大会で好成績を残すことが最後の望みにつながる

 ここまでの事実関係はほぼ報じられている通り。そしてここからが問題だ。
 森上の発言の後、日本の通信社がその怒りのエピソードを伝えたが、それを東京で読んだ海外通信社の記者が英訳して報じた。その英文記事が海外の記者たちの目に触れ、「森上が日本のナショナルコーチから故意に負けろと指示され、その事実を会見で申し立てた」と解釈。つまり八百長を自ら告白したということで、世界のメディアが当然この話に食い付いたのだ。

 ITFやWTA(女子テニス協会)は対応を迫られ、「重く受け止めている。これから調査を詳細に行なう」とコメントを発表。こうなれば話は広まるばかりだった。

 日本のほうの関係者は、森上本人も含め、まさか事態がこんなふうに進んでいくとは予想すらしていなかった。確かに英文のニュアンスでは、事実と明らかに違う点がある。最大のポイントは、森上がコーチの言葉にショックを受けたものの、故意に負けてはいないということ。つまり敗戦を強制されたわけではないということだ。

八百長問題に対し敏感になっているテニス協会

 けれど、「一部メディアが事を作為的に大きくして、おもしろおかしく八百長問題と絡めた」とは言えないのではないだろうか。

 昨年の夏、ロシアのニコライ・ダビデンコにかけられた八百長疑惑に端を発して、ATP(男子プロテニス協会)男子ツアーもWTA女子ツアーも八百長の実態を徹底的に調査。故意に負ければ、賞金をはるかに上回る報酬がもらえるという誘惑にさらされた選手が何人もいることが分かった。疑惑の試合がいくつも浮上し、実際に処罰を受けた選手もいる。
 大会はブックメーカーの介入を拒み、観客もパソコンの持ち込みが禁止されたり携帯電話で話してはいけなかったりと、行動が制限されるようになった。とにかくテニス界は八百長問題に神経を尖らせ、「あらゆる疑惑を許さない」と固い姿勢をとっている。

 単純な問題に帰るが、なぜ八百長は憎むべきものなのか? それは、不正をして巨額の金をもうける輩(やから)が許せないという単純なものではないだろう。勝つために全力を尽くすという前提が失われれば、勝敗への評価も敬意も損なわれ、スポーツの存在価値がなくなる。そこに金銭が絡んでいようがいまいが、試合の結果を外的な力で操作しようとする企みの一切は、許されるべきでない。

 だから、このコーチの発言は八百長の悪と同じ性質を持っていると言われてもしかたがない。そして、勝敗を操作するためのエサがお金ではなく“五輪”だったことがさらに悪質。ITFが出したコメントの中には「五輪精神にまさしく反する行為で遺憾」という一文もある。

ひざの故障と五輪出場への切実な思い

 しかし、森上の発言内容がそれほど重大な問題をはらんでいることに、日本の誰かが気付いただろうか。自分も含め、せいぜいそのコーチの資質を問うくらいの問題意識しかなく、テニス界の空気も読めていなければ、八百長の悪についても理解していなかったはずだ。今回の件で森上は自身のブログで謝罪しているが、現場にいた日本人として反省させられるべき出来事だったと感じている。

 また、森上が軽はずみだったという非難もあるらしいが、そもそも彼女はなぜあれほど感情を抑えられずに怒ったか。それには理由がある。

 五輪出場は、中村だけでなく森上にとっても今年の大きな目標だった。しかし森上は中村と同じ大会には行かず、全仏終了後は帰国することを決めていた。その理由は、左ひざの故障が深刻だったからだ。手術が必要だと医師に診断されていながら手術に踏み切らないのもまた、8月の五輪出場の望みを捨てたくないからだった。
 手術をすればきっと半年はコートに立てない。森上のランキングは中村とほぼ同じ。五輪出場は難しい位置だ。今大会、幾重にもひざにテープを巻いた痛々しい姿で出場したのも、まぐれでもいいからひとつでも勝ってポイントが欲しかったからだ。

 結局シングルスの1回戦で敗退し、その後「どうしてこんな大事なときに」と涙でひざのけがの重さを語った。それほど深刻なら、ダブルスの試合にも出るべきではなかったはず。ダブルスは五輪のためのランキングにも関係ない。
 しかし、そんな疑問に対し、「だって、試合がしたいんですよ」と森上は語っていた。もしかすると、今後のひざの経過次第では引退、という覚悟をしているのかもしれないと、私はその時ふと思った。それなら、五輪にこだわるのも、「一番好きなウィンブルドンには何があっても出る」と意地を張るのも、ダブルスに出たいのも、すべて納得がいく。 とにかくそんな状況、そんな切実な気持ちで臨もうとしていたダブルスの前にコーチから言われた一言が「勝ってほしくない」だったのだ……。

 当該コーチは日本テニス協会の事情聴取に対して、「無理をするなよという気持ちで言った」と弁明しているという。結局、同協会の盛田正明会長が信じているように、「ITFの調査に対してもきちんと状況を話せば分かってもらえる」のだろう。
 表向きは万事収まったとしても、きっとこの事件は消せないしこりを残す。また、4年に1度の五輪を重視するあまり、その五輪への冒涜(ぼうとく)とされる行為につながったことは本当に皮肉だった。(文=山口奈緒美)

<了>
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