チーム愛を貫いて=ルイ・コスタ、ベンフィカに魂を宿し続けた18年間

鰐部哲也

誰からも愛されるルイ・コスタの魅力

 1994年夏、熱望していたバルセロナ移籍の思いを心に閉じ込めて、当時財政難だったベンフィカにより高い移籍金のオファーを出したフィオレンティーナへ、「僕をここまで育ててくれたベンフィカが困っているのだから助けるのは当然」と移籍したルイ・コスタ。7年を過ごしたフィレンツェではビッグタイトルとは無縁だった。バルセロナ、レアル・マドリーというビッグクラブへ移籍し、世界的名声を手に入れていった同郷のフィーゴと、ポルトガル国内での名声やステータスは完全に逆転してしまった。その後、移籍したミランでは、伸び盛りのカカにポジションを奪われ、可能性を求めたボランチのポジションでも希代のレジスタ、ピルロとのレギュラー争いに敗れベンチを温める日々が続いた。
 そして、ベンフィカに戻ってきた最後の2シーズンは、チームが足を引っ張ってしまった。やはり、ルイ・コスタは最後まで運のない男だ。

 しかし、ひとつ言えることがある。ルイ・コスタはどのクラブのサポーターからも絶大な支持と寵愛(ちょうあい)を受けた。それは、まずクラブのため、ファンのために己をささげるというルイ・コスタの“仁義”とも呼べる清廉潔白な優しい心がそうさせるのではないだろうか。
 ラストゲームの前日、10日にはミランの副会長、アドリアーノ・ガッリアーニから「ミラノ市民、そしてイタリア国民は決してルイ・コスタの名前を忘れることはないだろう。君はいつまでも“ロッソ・ネロ”(ミランの愛称)の家族の一員だ」とルイ・コスタをたたえる手紙がファックスで届けられた。ミランのシンボル、パオロ・マルディーニは「ルイ・コスタがまだまだ僕らのスポーツ界(サッカー界)で活躍できる一流の選手であることは僕が一番よく分かるよ。偉大なる男、そして友人だったルイにありがとうと言いたい」とメッセージを寄せた。
 ルイ・コスタはこの古巣ミランからのメッセージに「感動して泣いてしまったよ」とラストゲーム後の記者会見で語っている。

偉大なマエストロの感動のフィナーレ

 ルイ・コスタのラストゲームとなったセトゥバル戦、最後の最後まで背番号「10」はピッチで躍動した。前半25分には右に開いてニアサイドのカツラニスの先制ゴールをアシストし、その3分後、ゴールマウスを完ぺきに捉えたミドルシュートが相手GKにはじかれると、ピッチを手でたたいて悔しがった。何度も何度も得意の柔らかいクロスと絶妙のタイミングでのスルーパスを出した。
 そして22時02分、試合時間では87分に第4審判が「10」番が点滅したボードを掲げ、交代を告げると、ルイ・コスタは手を振りながらゆっくりとピッチの外に出た。オーロラビジョンに映し出されるその顔は今にも泣き出しそうだった。

 こうしてルイ・コスタの“ラストダンス”は終わりを告げ、ピッチを出たルイ・コスタは、この日ボールボーイを務めていた2人の息子、フェリペとウーゴを呼び寄せ抱きしめながら、タイムアップの笛の音を聞いた。

 試合後にスタジアムを1周しながら、ユニホームを観客席に投げ入れていくルイ・コスタに、逆に観客席から無数の花束が投げ込まれる。この日、0−3で負けたセトゥバルのサポーターからもマフラーがルイ・コスタに手渡され、拍手で敵の偉大なる司令塔をたたえた。それはこの日、ルスに足を運んだ人たちにとって最も感動的な瞬間だったに違いない。
 ルイ・コスタは最後、四方のスタンドに向かって深々とお辞儀をしてピッチを去っていった。

一番の思い出はワールドユース優勝

 試合終了から約1時間して会見場に姿を現したルイ・コスタには笑顔が絶えなかった。それは泣き出しそうになるのをこらえるためにわざとそういていたのかもしれない。
「このベンフィカのトレーニングウェアを着てるってことはまだ選手ということだよね。じゃあ、僕のサッカー選手としての本当に最後のプレー(会見)を始めようか(笑)」とおどけた調子でマイクの前に座ったルイ・コスタ。
「僕の18年間のサッカー人生において、関わったすべての人に感謝するよ。僕に敬意を払ってくれて本当にありがとう。今はゆっくり休んで頭の中をクリアにしたい。僕にとっては素晴らしいサッカーキャリアだったと思う。1番良い思い出として残ってるのはここ(ルス)でワールドユース(現U−20ワールドカップ)優勝を決めたことだね。僕のこれまでのチームメートの中で世界最高の選手だと思うのは、バティストゥータとマルディーニの2人だ。彼らと一緒にプレーできたことを誇りに思う。今、サッカーを“捨てる”ことは幸せではないだろうけど満足はしてるよ。最後にこれしか言えないんだけど、本当にありがとう」
 ルイ・コスタのラストメッセージである。

 ちなみに「あなたのサッカーキャリアにおいて運がなかったとは思いませんか?」との質問には「最後の試合に5万4000人のファンが集まってくれて僕に声援を送り続けてくれたんだよ。こんなに幸せなサッカー選手はいないんじゃないかな? 僕は十分運が強いと思っているよ」と返したルイ・コスタ。いかにもルイらしい答えだ。

 23時54分、ルイ・コスタが会見場を後にしようと立ち上がると、記者もカメラマンも一斉に立ち上がって拍手で送り出した。
「誰からも愛される男=ルイ・コスタ」を最終確認したほほ笑ましい瞬間だった。この「最後の場」に立ち会うことができたことに感謝したい。

 フェスタ(お祭り)から一夜明けた翌12日の昼過ぎ、いつものトレーニングウェアではなく、黒いスーツに身を包んだルイ・コスタは、セイシャルにあるベンフィカのオフィスに姿を現した。すでに用意されたオフィスでのスポーツディレクターとしての仕事を早速始めたルイ・コスタ。彼の「第2の人生」は間違いなく始まったようである。

 こうしてピッチを去ったルイ・コスタ。しかし、ジョゼ・モリーニョが「ひとりのスーパースターが、一流選手のまま、トップフォームのままキャリアを終えたんだ」と賛辞を送った“マエストロ”ルイ・コスタの名前は、公式戦通算776試合132ゴールの記録とともに、永遠に私たちの記憶に刻まれるだろう。

<了>

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著者プロフィール

1972年10月30日生まれ、三重県出身。2004年から約4年間ポルトガルのリスボンに在住し、日本人初のポルトガルスポーツジャーナリスト協会会員としてポルトガルサッカーを日本に発信。昨年8月に日本帰国後は、故郷の四日市市でブラジル人相手のポルトガル語の通訳、翻訳、生活相談員の仕事に従事しながら、サッカーライターへの復帰を模索する毎日である。

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