ベッカムとオーウェン――“象徴”の復活 東本貢司の「プレミアム・コラム」

東本貢司

ニュー・ウェンブリーに真打ち登場

ニュー・ウェンブリーに“真打ち”イングランド代表が初登場。ベッカムの代表復帰戦となった 【 (C)Getty Images/AFLO】

 6月1日は季節歳時にいう「衣替え」である。少なくとも筆者の子供のころは、元旦になると必ず雑煮とおせちを食べるように、この日から学校の制服が夏服になり、あるいは下着一枚に半袖のシャツを着るのが決まりごとだった。いや、それは今でも変わらないのかもしれないが、桜が咲いたというだけで春らしい春を肌で感じた記憶がほとんどない今年に関して言えば、ついこの間までニットのセーターを羽織っていたような気もして、ふと戸惑いを感じてしまう。そのくせ、気がつけば、当たり前のようにこの日から半袖を着ている自分がいる。偶然なのかと思いたくなるような、そう、季節という“生き物”が無理やり帳尻合わせをしたような違和感……。

 イングランド・フル代表、つまり“真打ち”が、ニュー・ウェンブリー初ゲームに臨む歴史的記念日を、同じ6月1日に設定されたのを知ったときも、かすかな違和感を覚えたものである。なぜ、土曜日か日曜日でなく、金曜日なのか。しばし考えて、そうか、やはりやはり“キリのいい”日付にしたかったに違いない、と勝手にひざを打った。しかし、だとしても“違和感”は残る。ひょっとしたら、生まれ変わった聖地の歴史が真の意味でスタートするこの日に、さまざまな意味で過去約10年間のスリー・ライオンズ(イングランド代表)の象徴だったデイヴィッド・ベッカムとマイクル・オーウェンが復活することまで、“予定済み”だったのではないだろうか、と。

 ベッカムとオーウェンの代表復帰については、それぞれ別の意味でひとえに流動的だった。オーウェンはほぼ一年前の故障からやっとピッチに戻って間もなく、肩慣らし程度の数試合を経験したのみ。くしくもその直前、ニューカッスルはグレン・ローダーを突如解雇し、一方で、長年続いたサー・ジョン・ホール=フレディー・シェパードの同族経営体制(シェパードはサー・ジョンの女婿)が、こちらも突然のマイク・アシュリーなる投資家の攻勢により危機にさらされていた。結局、シーズン終了後まもなく、サム・アラダイスが新監督として舞い降り、この6月には(正確には、7日のエストニア戦後)、最後まで抵抗していたシェパード現チェアマンが持ち株を手放す決意をしたことで、アシュリー新オーナー(=筆頭大株主)体制が固まろうとしている。

 そんな、クラブの激動期の最中に“現役”に戻ったオーウェンがどう扱われるかは、ひそかな懸案事項だったのだ。一部では、ミドゥルズブラのマーク・ヴィドゥーカ獲得に乗り出していた(6月8日に移籍内定)アラダイスの腹の中に「オーウェンは戦力外」があるのかもしれないという声もあった。ならば、心理的にもオーウェンがベスト・コンディションにあったかと言えば、なるほど、ここにも“違和感”があったと考えられる。

ベッカムを取り巻く違和感

 ベッカムに関してはもうご存じの通り。そして、少し前に本連載で指摘した“背景”が的を射ているとすれば、マクラーレン代表監督は“初心”を曲げても「再招集せざるを得ない」心理に追い込まれていたことになる。その胸の内に果たして、どこかすっきりしない“違和感”は残っていないのか、何かしらの気まずさが妙に作用しないだろうか……。

 それにしても、ベッカム復活への道は、劇的な転換、誰かが筋書きを書いたような逆転の“突然の連続の”ドラマというしかない。MLS(米メジャーリーグサッカー)・LAギャラクシーへの移籍発表も突然なら、そこから、ジダン、フィーゴ、ロナウド無きレアルで、はつらつと主役さながらにプレーし始めたのも突然。おかげでレアルはあっという間にタイトルレースの主役に復帰、カペッロ監督もベタ褒め、ユナイテッド時代からの僚友ファン・ニステルローイは来るべき「ベッカム不在の時」を嘆き、レアル上層部も後悔至極。果ては、いずこからともなく、MLSオフシーズンにローン移籍申し入れの“作戦”までささやかれる始末。

 だが、筆者に言わせれば、ギャラクシー移籍の法外な契約額から始まった一連のベッカム復活のドラマがオンエアーされてきた間、内外のジャーナリズムがそのドラマトゥルギーばかりをあれこれ(場合によっては面白おかしく)なぞるばかりで、プレーヤーとしてのベッカムの価値、充実度、進歩、技術的・戦術的な必要性をなぜか遠回りに触れることしかせず、真っ向から述べる様子がなかったことに、最も“違和感”を覚えるのだ。

 ブラジル戦で絶妙なFKからテリーのゴールを演出したとき、「さすがはベッカム。やっぱり、彼がいないと」とおずおずとでも感嘆のため息を漏らさなかった“専門家”はおそらく皆無だったに違いない。それでも一部には、同試合でイエローをもらったシーンを指して、さも「悪い癖はまだ治っていないようだ」とばかりに苦言を忘れない声が漏れ伝わってきた。まだ、こういう方々には、映画スターさながらのもてはやされ方やスキャンダルめいた背景に対する、やっかみ、もしくは、純粋なアスリートとして認めたくない“しこり”が取れないのだろうかと、こちらこそため息をついてしまう。

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著者プロフィール

1953年生まれ。イングランドの古都バース在パブリックスクールで青春時代を送る。ジョージ・ベスト、ボビー・チャールトン、ケヴィン・キーガンらの全盛期を目の当たりにしてイングランド・フットボールの虜に。Jリーグ発足時からフットボール・ジャーナリズムにかかわり、関連翻訳・執筆を通して一貫してフットボールの“ハート”にこだわる。近刊に『マンチェスター・ユナイテッド・クロニクル』(カンゼン)、 『マンU〜世界で最も愛され、最も嫌われるクラブ』(NHK出版)、『ヴェンゲル・コード』(カンゼン)。

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