完成形をつかんだ勝者=春高バレー総括 男子・東亜が貫録の2連覇 女子は東龍が復活V

胡 多巻

接戦の目立った大会

男子連覇を果たした東亜学園。“クールな”同校だが、決勝戦では見えない力がパワーを与えた 【(C)坂本清】

 7日間に渡って行われた第39回春の高校バレー(全国高校選抜優勝大会)の決勝戦が26日、東京・国立代々木競技場・第一体育館で行われ、男子は前回優勝の東亜学園(東京)が、フルセットの末に愛知の星城を破り、史上5校目となる大会2連覇を達成した。女子は昨年の決勝戦で大阪国際滝井(大阪)の前に涙をのんだ東九州龍谷(大分・以下東龍)が、ストレートで古川学園(宮城)を破り、2年ぶり3回目の優勝に輝いた。
 会場の代々木第一体育館には各校の応援団や観客が1万2000人も訪れ、立ち見客があふれるほどの大盛況ぶり。選手たちの1つ1つのプレーに大きな声援が送られ、人気選手には全日本選手さながらの黄色い声援も飛んでいた。
 
 今大会は1点を争う好ゲームやフルセットに持ち込まれる試合が数多くあり、強豪校が土俵際まで追い込まれる光景も幾度となく見られた。
 実際、男子の雄物川(秋田)や大分工業(大分)、女子の京都橘(京都)や四天王寺(大阪)といった優勝候補の一角も2回戦までに姿を消してしまった。
 連覇を遂げた東亜と昨年のリベンジを果たした東龍も例外ではなく、決勝までの失セットが東亜は0、東龍は準決勝での1セットのみで勝ち上がったものの、崩されることもしばしばあった。
 監督や選手たちもよく口にする「勝ちたいと思う気持ちが強い方が最後は勝つ」という心理面も勝因の1つに数えられるが、最終的には両チームとも最後の舞台でチームとしての完成形、1番のパフォーマンスをぶつけることのできる強さを持っていたところが頂点を制するポイントだった。

東亜の不安を打ち消したもの

決勝戦で、東亜のクールなイメージが一転。最後の最後でやってきた事の集大成が出せたと清水主将は言う 【(C)坂本清】

 東亜学園の小磯靖紀監督は、胸に抱いていた不安の存在を明かした。
「昨年のチームの選手たちの方が集中力もあって落ち着いていて、試合中もベンチで話す(指示する)ことがなかったが、今年は崩れるかもしれないという不安もあって声をかけることが多かった」

 決勝戦でも、その心境を思わせるようなシーンが見られた。セットカウント1対1で迎えた第3セットの終盤、東亜は1セットに2度チャンスがあるタイムアウトの機会を集中的に使った。リードこそしていたものの中盤以降は2点以上の差をつけられなかった東亜は、18−19とついに星城の逆転を許し、このセット初めてのタイムアウトを取った。いったん立て直して21−21と追いついたところで、今度は星城がタイムアウト。ここで、逆に星城が立て直しに成功した。東亜は21−23とされたところで再びタイムアウトを取ったものの、逆転ならず。1点も取り返すことができず、このセットを奪われたのだった。
 しかし、セットカウント1−2と崖っぷちに立たされてからの最後の第4、5セットで、やってきた事の集大成ができたと主将の清水大嗣(2年・ライト)は言う。
「選手全員が声をかけ合い、自分でも(その思いや勢いを)感じるくらいだった。やっとだけどまとまれて1つになれた」

 確かに第4、5セットは、テクニカルタイムアウト(※)の時など、ベンチに帰ってきた選手がお互いに声を掛け合うシーンが目立つようになっていた。まずは清水が率先して声を出し、それにつられるようにほかの選手たちがお互いに声をかける。
 それまでの東亜は、得点時にガッツポーズこそするものの派手さはなく、どちらかと言えばクールなイメージが強かった。しかしそれ以降、選手それぞれがコートの中でも“声でも戦う”かのように声をかけ合う場面が見られるようになったのだ。

※注:各セットにつき2回許されているタイムアウトとは別に、リードしているチームが8点、16点に到達したときに取られるタイムアウト

 “声かけ”の中心となった清水は今大会の人気・実力ナンバーワンとも言える選手だが、キャプテンに指名された直後の心境を「スタメン6人が全て2年生で、みんなキャリアも実力も自分より上だったので、最初は自分がものを言うのも遠慮気味でいろいろなことを抱えてしまった」と明かした。それでも「辞めたいなと思う時期もあったが春高で優勝するために東亜に入ったし、監督からも(主将は)自分にしか任せられないと託されたので、自分が引っ張ろうと練習の中から声を出すようにした。そのうち少しずつ影響力を与えられるようになった」。

 清水は最後の2セットでの変化について多くは語らなかったが、初めて相手チームに1セット先行を許したこのセット間で、心や気持ちのスイッチを切り替えることができたのだろう。
 あと1セットを取られれば全てが終わる、そんな土壇場から得た勝利の種だった。

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著者プロフィール

1973年、東京都出身。フリーカメラマンとしてアマチュアスポーツや、ビーチバレー・バレーボール・ソフトボールの撮影を主に行う。アトランタ五輪以降の夏季五輪に足を運んでいる。

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