不屈の主砲・小久保がもたらす浮上のキッカケ

田尻耕太郎

満身創痍の体で積み重ねてきた本塁打

 主砲・小久保裕紀がプロ野球史上21人目の通算350本塁打に王手をかけている。ホークスは3カード連続の長期ロードを終えて、今日25日からヤフードームで千葉ロッテと3連戦を行う。26日には「大場翔太vs唐川侑己」というルーキー対決もあり注目が集まる中、地元のファンの前で偉業を達成するつもりだ。

 プロの世界に飛び込んで15年、ずっとホームランを追い求めてきた。「1ミリでも遠くに飛ばす」が小久保の永遠のテーマだ。「この世界で距離へのこだわりを捨てたら、引退するとき」とまで言っている。身長182センチ、体重86キロの体は松中信彦や山崎武司、清原和博らスラッガーと呼ばれる打者に比べれば決して大きくない。だからこそ不断の努力を続け、全力プレーを行ってきた。
 
 その代償は大きな故障となって表れた。「手術をしたのは6回かな。傷だらけ、ツギハギだらけの体です」という。真っ先に思い出されるのが2003年のオープン戦だ。一塁走者だった小久保は次打者の長打で一気にホームをついた。クロスプレーとなり、相手捕手の全体重が自身の右ひざの上に乗っかった。前十字じん帯断裂、内側じん帯損傷、外側半月板損傷などの大けが。1シーズンを棒に振った。それ以外にも1998年には右肩の手術、そして昨オフには左手首の手術を行った。

6度目の手術を乗り越えて

 ことし、宮崎キャンプに小久保の姿はなかった。10月末にメスを入れ、2月は米国・アリゾナでやはり手術からの復活を目指す斉藤和巳とともにリハビリを行った。術後、バットスイングは2月20日に、フリー打撃は3月18日に再開した。そして4月18日には1軍のグラウンドに立っていた。「巨人時代にオープン戦2試合だけでシーズンに入ったことがある。それでも問題なかった。その経験が生きている」というが、まさしく驚異的な早期復帰だった。 
 
 ゆっくりはしていられなかった。王貞治監督が「集大成で臨む」と宣言したシーズンだったが、チームはいま一つ波に乗り切れない。
「負けに慣れないように、声を出してやっていきたい」
 4月、ホークスはあと5試合を残しながら月間勝ち越しがなくなった。4月の負け越しは10年ぶりの屈辱。つまりホークスが福岡にやってきて初優勝した99年よりも前の話だ。
 小久保のメモリアル弾こそ、チーム浮上のキッカケになる。この3連戦、小久保の打席から目が離せない。

<了>
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著者プロフィール

 1978年8月18日生まれ。熊本県出身。法政大学在学時に「スポーツ法政新聞」に所属しマスコミの世界を志す。2002年卒業と同時に、オフィシャル球団誌『月刊ホークス』の編集記者に。2004年8月独立。その後もホークスを中心に九州・福岡を拠点に活動し、『週刊ベースボール』(ベースボールマガジン社)『週刊現代』(講談社)『スポルティーバ』(集英社)などのメディア媒体に寄稿するほか、福岡ソフトバンクホークス・オフィシャルメディアともライター契約している。2011年に川崎宗則選手のホークス時代の軌跡をつづった『チェ スト〜Kawasaki Style Best』を出版。また、毎年1月には多くのプロ野球選手、ソフトボールの上野由岐子投手、格闘家、ゴルファーらが参加する自主トレのサポートをライフワークで行っている。

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