コラム〜水上の若きサムライたち〜

ヤングダービー準V! 豊田健士郎(前編)

豊田健士郎(とよだ けんしろう)選手

2019年10月1日更新 文:黒須田守(BOATBoy) 写真:池上一摩(BOATBoy)

苦しい時期を乗り越え

優しそうな顔つき
優しそうな顔つき

 ヤングダービーが終わった。若武者たちのハツラツとした戦いは、今年も実に爽快であった。粗削りな部分も見受けられたが、それもまた若者たちの特権。若さを武器に積極的に仕掛けるレースぶりに、ファンもおおいに感じるものがあっただろう。また、随所で高いポテンシャルを発揮するレーサーも数多かった。舞台となったボートレース三国は基本的にインコースが強く、やはりインコースの1着がかなり多かったが、バラエティに富む戦法が少なからず見られたのは、若手トップクラスのレーサーが集う一戦ならでは。ヤングたちの真っ向勝負は、ひたすらエキサイティングであった。
 優勝したのは永井彪也。東京支部期待のイケメンレーサーだ。予選をオール3連対でクリアすると、準優勝戦は1号艇にすわって逃げ切り勝ち。優勝戦も1号艇を手にした。最終日は、台風17号接近の影響もあって強風が吹き、水面も荒れて、安定板が装着されてのレースとなったが、永井が一節間築き上げた仕上がりに不安はなく、福田宗平が放った意表の2コースツケマイにも動じずに逃げ切ってみせた。この優勝で永井はSGの出場権を手にしている。タイトルを手土産に、もうワンステージ上の戦いに臨むことになるわけだ。ヤングダービー覇者が超強豪たちを相手にどんな戦いぶりを見せるのか、おおいに期待したい。
 優勝戦2着で準優勝となったのが、豊田健士郎だ。豊田は今期初A1級で、8月のびわこ周年でG1デビューしたばかり。ヤングダービーがG12節目だったが、モーターを好気配に仕上げて、活躍を見せた。ネームバリュー的には出場メンバーのなかでも上位とは言えなかったが、この準Vで一躍、全国のボートファンに名前を売ることとなった。強豪ひしめく三重支部の期待の新星。これをステップボードとして、さらなる飛躍を胸に期す。

いざ作業となると目つきは鋭い
いざ作業となると目つきは鋭い

 豊田健士郎は115期生として2013年秋にやまと学校(現ボートレーサー養成所)に入所し、1年後に無事卒業。14年11月に地元の津でデビューを果たしている。いきなり4走目にフライングを切ってしまい、23走目には転覆を喫するなど、プロの洗礼を浴びる格好でプロレーサーとしての道を歩み始めた。フライング休みが明けたあとも苦戦を強いられたが、デビューから5カ月後の地元戦で、デビュー初1着をあげている。38走目で、同期のなかでは突出はしていないものの、早いほうの水神祭達成であった。
 デビュー2期目も苦戦傾向は変わらず、この半年間には1着をあげることができなかった。2着もなく、勝率は1.98。デビュー期勝率が1.95だったから、成績的には横這いだったと言っていい。デビュー1年目の豊田は初勝利こそあげたものの、なかなかトンネルを脱け出せずにいたということになるだろう。
 デビュー3期目もまた、勝利をあげることはできなかった。勝率は2.90へとアップさせたものの、まだまだ大敗も多く、ステップアップへの足掛かりを見つけられてはいなかった。4期目には2勝をあげ、勝率も3.34。5期目には3勝をあげて、勝率は3.49。この頃までは、豊田にとってはなんとか這い上がろうともがいていた時期だろうか。この頃、同期の仲谷颯仁はすでにデビュー初優勝を果たしている。デビュー5期目の勝率は6.64と、次の期にA1級への昇級も決めていた。なにより、仲谷はこの年の(17年)ヤングダービーへの出場権も獲得していた。しかも、そのヤングダービーでは準Vとなっている。同期が一気に駆け上がっていくのを横目で見ながら、豊田は研鑽を積む時期を送った。
 光明が見え始めたのは、デビュー6期目のことだろうか。この期、豊田は1着を一気に13本にまで増やし、勝率も4.85まで伸ばしている。さらにデビュー7期目には勝率5.58へとアップし、初のA2級昇級を決めた。仲谷をはじめとする同期生が結果を出し始めるなか、豊田もそれに刺激を受けながら着々と成績を伸ばしていった。決して一足跳びの成長ではなかったけれども、飛躍への足掛かりをつかみつつあったと言える。
 (後編に続く・・・)10/15(火)更新予定

豊田健士郎
豊田健士郎 (とよだ けんしろう)選手プロフィール

登録番号4856。115期。支部・三重。出身・三重。1996年3月13日生まれ。O型。

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