コラム〜水上の若きサムライたち〜

甲子園球児からボートレーサーへ! 石丸海渡(前編)

石丸海渡(いしまる かいと)選手

2019年8月1日更新 文:黒須田守(BOATBoy) 写真:池上一摩(BOATBoy)

夏の甲子園に出場!

2011年夏の甲子園に出場!
2011年夏の甲子園に出場!

 スポーツ界の8月の風物詩といえば、全国高等学校野球選手権大会。いわゆる「甲子園」だ。今年も8月6日から全国都道府県の代表校が、真夏の甲子園球場で覇を競う。すでに代表校は続々と決まっており、岩手県では佐々木朗希投手擁する大船渡高校が、決勝戦でその佐々木投手を温存し敗れたということで、その賛否をめぐって大論争が巻き起こったりしている。日本人の多くにとって、夏の甲子園はいろいろな意味で関心の的なのだ。
 ボートレース界にも、「甲子園」が誕生した。まさに先ごろ、ボートレース浜名湖で開催されたG2全国ボートレース甲子園だ。コンセプトはまさに高校野球の甲子園と同様。全国各都道府県の出身レーサーから代表1名が選出され(ほか施行者希望選手5名)、一堂に会する一戦である。そのオープニングセレモニーは、やはり高校野球の開会式を模した進行で行なわれ、また初日第1Rの前には植木通彦ボートレースアンバサダーによる始球式ならぬ“始走式”=オープニングランが行なわれたりもした。出場選手はこのコンセプトをよく理解し、故郷を意識してレースに参戦。また、一種のお祭りレースでもあるため、その第1回を盛り上げようとさまざまなかたちで奮闘を見せた。まさに熱闘! 甲子園! であった。栄えある初代覇者は、石川県代表の今垣光太郎。このために制作された深紅の優勝旗を故郷に持ち帰ることとなっている。
 そのボートレース甲子園に出場することはかなわなかったが、高校時代に“本家甲子園”に出場を果たしているのが本稿の主役、石丸海渡だ。現役ボートレーサーのなかには元高校球児は非常に多く、また都道府県予選を勝ち抜いて甲子園に出場した選手も何人かいる。石丸はまさにその一人。高校野球に青春を捧げ、そしてボートレースの道へと進んできたのだ。となれば、ぜひボートレース甲子園にも出場してほしかったわけだが、これはまあ、来年の出場を期待しよう。石丸は今、飛躍の時を迎えている。出身地である愛媛県を代表する選手に成長しても少しも不思議ではない男なのだ。

スポーツ推薦でボートの世界へ
スポーツ推薦でボートの世界へ

 石丸海渡は、今治西高校の出身。今治西高は2011年の第93回全国高等学校野球選手権大会に愛媛県予選を勝ち抜いて出場。石丸が3年生の時のことで、セカンドのレギュラーとしてメンバー入りしていた。残念ながら初戦敗退を喫してしまっているが、甲子園のグランドでプレーしたことは誇らしい経験と言える。
 石丸はこの実績を引っ提げて、翌12年春にやまと学校(現ボートレーサー養成所)にスポーツ推薦で合格、入学した。112期生である。野球部の猛練習にも耐えてきた石丸は、1年の厳しい訓練をしっかり乗り切り、13年5月に地元丸亀でデビュー。訓練生時代の成績は上々で、野球で鍛えた運動神経を活かしたかたちか。しかし、プロの水は甘くなく、デビュー節では初戦から7走連続6着。最終走でようやく4着となったが、その後も大きな着を並べ続けた。デビュー期の半年間は無事故で走り、それは称えられるべきではあるが、1着はゼロ。2着も1回だけと、厳しい船出となっている。
 初勝利は年が明けた14年1月。地元丸亀の正月開催で、6コースからのまくり差しで決めている。デビューから8カ月、90走目のことだった。このデビュー2期目はさらに2勝を上積みし、舟券絡みも急増。勝率は3.31で前期の2.17から大幅に引き上げている。デビュー3期目は、2期目とほぼ変わらぬ勝率3.32。そして4期目は一気に4.52。舟券絡みはさらに急増し、解禁した内枠スローコースからのレースもそつなくこなした。スタートタイミングもぐっと早くなり、確実に進境を見せていた。高校時代に野球部で鍛えたこともあり、体重はやや重めではあったものの、それが豪快なレースぶりにもつながった。デビュー6期目には、勝率を5.28にまでアップ。いよいよA級が手の届くところまで成長したのである。
 しかし、ボートレースの魔、とでもいうものに石丸は魅入られてしまったか。その直後に、足踏みを強いられてしまうのである。
 (後編に続く・・・)8/15(木)更新予定

石丸海渡
石丸海渡 (いしまる かいと)選手プロフィール

登録番号4772。112期。支部・香川。出身・愛媛。1993年6月21日生まれ。O型。

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