コラム〜水上の若きサムライたち〜

最高の感動を表現した女子王座 田口節子(後編)

田口 節子(たぐち せつこ)選手

2011年4月15日更新 文:黒須田守(BOATBoy) 写真:中尾茂幸(BOATBoy)

佐々木裕美の思いを背負って

真摯な表情でレースに臨む
真摯な表情でレースに臨む

 女子王座とは縁がないのかな……そんなふうに田口節子が考えるようになった2011年。しかし田口のなかでは、心境的な変化も起きていた。というより、自分を変えなければ、という思いを抱くようになっていたそうだ。
 そうして迎えた女子王座決定戦。その変化は、初日の選手紹介コメントに早くもあらわれていた。
「言うだけならタダなので言います。優勝します!」
 実際のところは、強い決意をもっての優勝宣言というよりは、そう言うことで自分とファンを盛り上げようというものではあったようだ。だが、そう口にできることが、田口にとっては変化であり、成長だった。気の早い話をかけば、最終日、誰もがまざまざとこの言葉を思い出すことになる。

 この女子王座については、もう一人の選手についても触れなければならない。同期の佐々木裕美である。
 このシリーズ中、田口と佐々木は行動をともにすることが少なくなかった。もちろん、同期なのだからもともと仲が良く、喜びも悲しみも分かち合ってきた間柄である。そうしたなかで、佐々木にはこの女子王座をどうしても優勝したいという切望があった。
 佐々木は現在、山口支部であるが、もとはこの女子王座が開催された三国ボートをホームとする福井支部であった。同期の坂谷真史さんと結ばれた佐々木は、坂谷さんの住む福井に移籍していたのだ。その坂谷さんは、07年2月のレース中に殉職してしまう。半年間レースから離れた佐々木は、復帰した際には故郷である山口に戻っていたが、福井は、三国ボートは、誰よりも思い入れのある場所である。その地で開催される女子王座。佐々木はこの一節間、思いが伝わるレースを見せ続けていた。
 無念であっただろう。佐々木は抽選で劣勢モーターを引いてしまい、気合で予選を戦ったものの、予選落ちをしてしまう。しかし、佐々木は一人ではなかった。
「裕美ちゃんに託されました」
 田口は優勝戦進出を決めたあとにそう語っている。そう、田口は佐々木の思いを背負ったのだ。坂谷さんは言うまでもなく、田口にとっても同期の仲間である。誰よりも佐々木の気持ちを理解し、そしてまた自分にとっても特別な戦いなのだと心に秘めて、田口は優勝戦に臨むことになったのであった。

これが女子王座優勝の雄姿!
これが女子王座優勝の雄姿!

 優勝戦1マーク。先行する平山智加のターンがやや流れたところに、赤いカポックが強烈なスピードで先頭に立っていった。田口の決めた渾身のまくり差し。「無我夢中でハンドルを入れたら、たまたままくり差しが入っていた」と田口はレース後に語っているが、とてもそうは思えないほどの鮮やかな航跡。05年女子王座以降、優出すら果たせなかった田口が、ついに他5艇をひきつれて優勝戦の水面を疾駆しているのだ。ピットでは祈るようにレースを見ていた佐々木が、目を潤ませていた。
 Vゴールを決めて、バンザイで佐々木が出迎えるピットに帰還した田口は、そこでまず涙。表彰式では、「この勝利を、苦しい時に支えてくれた母に伝えたい」と語り、人目をはばからず号泣している。その涙は、もちろん多くの人の思いを背負って勝つことができたことへの喜びの涙。そしてもうひとつは、挫折を乗り越え、力強く前を向くことで悲願をつかむことができた、その涙であろう。
 あきらめなければ、必ず何かを成し遂げることができる。
 田口がこの女子王座で涙とともに表現したのは、何よりもそれだった。それを田口の走りから感じ取ったファンの多くは、田口の涙にもらい泣きしたことだろう。そして、勇気を与えられたのではないか。自分も、あきらめなければつかみ取れるものがある。ファンは田口の優勝から、そう教えられたのである。
 競馬を人生の縮図であると言ったのは、かの寺山修司である。競馬だけではない。ボートレースもまた、人生の縮図なのだ。だから、そこにはドラマがある。そこから元気をもらえる。田口が見せつけた感動的な優勝は、そんなボートレースのもつ素敵な一面の象徴であった。

田口 節子
田口 節子 (たぐち せつこ)選手プロフィール

登録番号4050。85期。岡山県出身。1981年1月14日生まれ。AB型。 主な優勝:11年女子王座決定戦(三国)

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