コラム〜水上の若きサムライたち〜

艇界のアイドル 山崎智也 (前編)

山崎 智也(やまざき ともや)選手

2009年7月1日更新 文:黒須田守(BOATBoy) 写真:中尾茂幸(BOATBoy)

電撃的アイドルスターの誕生

今でもファンから絶大な支持を得ている
今でもファンから絶大な支持を得ている

 スポーツにおいて、ジャンルを牽引するのは、言うまでもなく実力トップクラスの選手である。他を圧倒する実績を残し、最上級の称号を手にする者。スポーツというのはおおむね勝負の世界であるから、勝者にスポットが当たるのは必然であり、図抜けた力をもつ勝者はその競技を支えて立つだけの立場を与えられる。
 しかし、実力に匹敵するだけのバリューをもつ要素があることも否定できまい。簡単に言えば、ルックス、である。それは時に、実力以上の価値をもつことさえある。たとえば、決して日本トップの実力者というわけではないのに、マイナーだったビーチバレーをスポーツ報道の中心にまで押し上げた浅尾美和選手。彼女をスターダムに押し上げ、ビーチバレーを普及させることにつなげたのは、グラビアアイドルとしても活躍できるほどのルックスであったことは間違いない。
 そうした“イケメン”や“美女”は、どんなジャンルにも存在し、そのジャンルの注目度を高めるのに一役買うもの。もちろん、競艇界にもアイドル顔負けのルックスをもつ選手はゴマンといる。なかでも、近年、革命的とすらいえる存在は、やはり山崎智也であろう。
 多くの女性ファンから支持され、ファン投票で出場が決まるSG笹川賞では常にトップクラスの得票を集める。一般メディアにもたびたび取り上げられ、競艇雑誌で大きく取り上げれば驚くほどの反響がある。山崎智也は、まさしく競艇界のアイドルスター、なのである。
 この男がすごいのは、ルックスが抜群というだけではない。実力も兼ね備えたアイドル、なのだ。天は二物を与えずという格言も、この男にはまるで当てはまらない。

水面では果敢にして軽快にして豪快
水面では果敢にして軽快にして豪快

 山崎は1991年、第71期生として本栖養成所に入所。翌年秋にデビューを果たす。すぐに衝撃的な活躍を見せたわけではなかったが、スピードターンが徐々に注目を集め、早い時期から逸材と認められる資質を披露していた。
 その頃から、アイドル並みのルックスが一部のファンの話題にはなっていたが、一気に全国区のスターに駆け上がったのは、97年のことである。この年の夏、モーターボート記念で山崎は初のSG出場を果たす。そして、SG参戦2節目となった全日本選手権で、山崎はファンの度肝を抜く走りを見せつける。
 快調に予選を戦い抜いた山崎は、準優勝戦も1着で突破し、優勝戦への進出を果たした。それ自体は彼の非凡さの証明であったが、SGでは新参者である若手の優出は、ファンの感覚としては番狂わせの域を出ていなかったといえる。それが実は必然的な出来事であったことを皆が知るのは、優勝戦の1マークを待たなければならなかった。
 3号艇で出走した山崎は、5コースからのスタートとなっている。4カドは、SG史上最年少制覇記録をもつ服部幸男。その服部が好スタートを決めてみせたとき、多くのファンはこの天才に勲章がもうひとつ増えたのだと想起したことだろう。しかし、その外にもう一人の天才がいたのである。山崎はマクる服部の内ふところに鋭角なマクリ差しを突き刺すと、そのまま先頭に立った。服部も追いすがろうとはしたものの、山崎のターンは先輩をまるで寄せ付けようとはしなかった。そのまま服部を突き放して、1着ゴール。23歳の山崎が、SG初制覇を衝撃的な走りで果たしたのである。
「前を走られて、はじめて名前を覚えたよ」と服部に言わしめた、電撃的なニューヒーローの誕生。その走りはもちろん、笑顔で臨んだ表彰式で一気に有名となったルックスで、山崎智也は一躍、艇界のアイドルスターとなったのである。

(後編に続く・・・)7/15(月)更新予定

山崎 智也
山崎 智也 (やまざき ともや)選手プロフィール

登録番号3622。71期。群馬県出身。1974年3月11日生まれ。A型。 1992年桐生でデビュー。SG優勝は97年全日本選手権(唐津)、98年笹川賞(桐生)、03年全日本選手権(戸田)、06年笹川賞(戸田)、07年賞金王シリーズ(福岡)。

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