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コラム〜水上の若きサムライたち〜

艇界のファンタジスタ 濱野谷憲吾(後編)

濱野谷 憲吾(はまのや けんご)選手

2009年5月15日更新 文:黒須田守(BOATBoy) 写真:中尾茂幸(BOATBoy)

真のファンタジスタへ

ピットで見せる素顔は凛々しく、そして厳しい
ピットで見せる素顔は凛々しく、そして厳しい

 1998年全日本選手権を制した濱野谷憲吾は、名実ともに競艇界を支えるトップスターの一人となった。同年の賞金王決定戦に初出場を果たすと、以降は常連として常に最上位クラスに君臨。2000年には競艇王チャレンジカップを制して、2つめのSGを手にしている。
 翌2001年は、賞金王決定戦への出場は逃したものの、同日程で開催されるもうひとつのSG・賞金王シリーズを制覇。賞金王決定戦不出場は単なる巡り合わせだったのだと証明している。その翌年に賞金王決定戦復帰を果たすと、以後は一度も欠かすことなく連続で出場している。その年のベスト12のみが出場を許される賞金王決定戦にこれだけ長きにわたって連続で駒を進めるのは、まさしく偉業。驚異的な記録である。
 とはいえ、濱野谷は2001年からしばらく、SG制覇から遠ざかることとなってしまう。決して力が落ちたわけではない。調子を決定的に崩していたわけでもない。先に記したとおり、賞金王決定戦への出場権は毎年モノにしていたのだ。相当に高いレベルで安定していたのは間違いなく、だからこそ勲章になかなか手が届かないことは不思議なことであった。特に、賞金王決定戦を制する日はすぐにでもやって来ると思われたのにもかかわらず、あとわずかなところで逃し続けていることには、誰もが首をかしげていたものだった。
 そうした時期について、濱野谷はこう語っている。
「ぼくはあまりガツガツするタイプではないんです。賞金王も、必ず獲れると思っている。だから、ガツガツする必要はないんです」

笹川賞のファン投票は3位。人気もトップクラスだ
笹川賞のファン投票は3位。人気もトップクラスだ

 決して焦らない。焦る必要もない。それは、機が熟せば、あるいは巡り合わせがよければ、手を伸ばしただけで掴むことのできるだけの実力が裏打ちする自信だった。実際、4度目のSG制覇はひょんなことから実現する。2007年、地元・平和島競艇場で行なわれた総理大臣杯で、濱野谷は5年3カ月ぶりのSG優勝を果たす。それは大本命だった植木通彦がフライングを喫して転がり込んできたVだったが、濱野谷自身、2マークで先行する吉田弘文を渾身のターンで逆転し、首位に浮上していた。巡り合わせがよければ、いつでも獲れる――そんなポジションに居続けられることが、実力の証である。
 だが、一方で濱野谷は言う。
「でも……ガツガツしないから、ダメなのかな」
 もっとなりふり構わず勝利だけに執念を燃やしていれば、もっと多くのSGを獲得し、念願の賞金王制覇もかなうのではいか――濱野谷はそんなふうに、自分と向き合ってもいるのである。ガツガツしないのが自分だと認識しながら、同時に自分を変えたいとも願っているのだ。
 たしかに、ここ数年の濱野谷憲吾は、むしろ安定という言葉がふさわしい存在となっている。その安定ぶりも、常人には不可能なほどの最高レベルでのものなのだが、しかしかつての豪快なイメージが鳴りを潜めていることは否定できない。ファンタジスタという代名詞はいまだ彼に似合ってはいるけれども、そのニュアンスが少しずつ変わっているのも間違いのないことだ。
 2008年。濱野谷はSG制覇はかなわなかったものの、SG優勝戦2着(すなわち準優勝)を3回も記録している。これはSGを1度優勝する以上に難業というべきだろう。それだけに、もし濱野谷が自分を変えるようなことがあれば……2009年は大爆発の1年となる可能性がある。
 さらに一段上のファンタジスタへ――。これからの濱野谷憲吾を見つめ続けることは、最高級のスーパースターの降臨を目撃することなのかもしれない。

濱野谷 憲吾
濱野谷 憲吾 (はまのや けんご)選手プロフィール

登録番号3590。70期。東京都出身。1973年11月8日生まれ。A型。 1992年平和島でデビュー。4月23日現在で通算1121勝をあげている。1997年9月に桐生でGI初優勝、1998年10月に全日本選手権(福岡)でSG初優勝を果たしている。以後、SGは通算4V。GIは通算15V。賞金王決定戦には10回出場している。

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