コラム〜水上の若きサムライたち〜

艇界のファンタジスタ 濱野谷憲吾(前編)

濱野谷 憲吾(はまのや けんご)選手

2009年5月1日更新 文:黒須田守(BOATBoy) 写真:中尾茂幸(BOATBoy)

スーパースターの誕生

実力はもちろん、ルックスもファンをとりこにする
実力はもちろん、ルックスもファンをとりこにする

 ファンタジスタ。イタリアのサッカー界で、図抜けたパフォーマンスを見せる選手に贈られる尊称である。もともとは「多芸で才能にあふれた人」という意味をもつこの言葉は、ステージ上で予想外のアドリブを繰り出すような役者に対して使われていたそうだ。それがやがてピッチ上で予想外の素晴らしいプレーをするサッカー選手に対しても用いられるようになり、むしろこちらの用法がメジャーとなった。本物のスーパースターへの賛辞として、今では日本でもすっかり定着している。
 競艇界にも、ファンタジスタと呼ばれる男がいる。
 濱野谷憲吾。SG競走を4度優勝し、賞金王決定戦の常連ともなっている、艇界のスーパースターである。
 いつ頃からそう言われるようになったのか、はっきりとした記録はないが、いまや「艇界のファンタジスタ」は濱野谷憲吾の代名詞である。おそらくはサッカーファンの彼に対してニックネームをサッカー用語から引用したのが端緒であろう。そして、そのフレーズは、見事すぎるほどに濱野谷にフィットしていたのであった。
 豪快なターンは艇界屈指のスピードをもち、1マークで敵を抜き去っていく姿はあまりにも華麗。デビュー数年でトップクラスと伍して戦うことのできる実力を身につけ、大レースでも主役の一人として活躍。ヘルメットを脱げば、あらわれるのは男があこがれ女が惚れ込むアイドル並みのルックス。
 ファンタジスタ以外に形容する言葉が見当たらないほどに、濱野谷はキラキラと輝いている。

豪快なターンは憲吾スペシャルとも呼ばれる
豪快なターンは憲吾スペシャルとも呼ばれる

 濱野谷憲吾は、本栖養成所の70期生として選手への道を歩み始め、1992年にデビューしている。兄は、JRA騎手の浜野谷憲尚。勝負の世界で生きていくことを希望しながらも、兄と同じ世界に入り、兄の後ろを追従していくような生き方はしたくないと、競艇の世界を選んだ。それでもデビュー当初は、JRAの認知度の大きさもあってか、「競馬の浜野谷の弟」という形容詞はついてまわった。
 しかし、彼にとっては余計なフレーズは、すぐに忘れられることとなる。デビュー直後からスピードあふれる旋回で頭角をあらわしていった濱野谷は、1996年には早くもSG全日本選手権に出場。誰もが次世代のニューヒーローだと認めるまでになっていた。そのSGデビュー戦もド派手なものだった。競艇では最大で一日に2回の出走が可能だが、濱野谷は全国の競艇ファンが注目するその全日本選手権で、一日2回の転覆という前代未聞のハプニングをやらかしてしまったのだ。ただし、ファンはそんな濱野谷を蔑んだわけではない。むしろ、恐れを知らずにフルスピードで攻める姿に、未来の艇界を牽引するスターとしてのセンスを見出したのである。そうした大物感は多くの人の目に留まった。ちょうどその頃連載がスタートし、後にテレビアニメにまでなる大ヒット競艇漫画『モンキーターン』の主人公・波多野憲二のモデルは、誰あろう、濱野谷憲吾だった。
 濱野谷が、紛れもないスーパースターであることを証明する機会はすぐにやってきた。1998年全日本選手権。2年前、1日2回の転覆を喫した同じ舞台で、濱野谷は今度は堂々と優勝戦に駒を進めていた。その優勝戦は、5コースからの発進。トップスタートを決めた濱野谷は、1マークを豪快にマクり切りSG初優勝を成し遂げたのだった。デビューから6年半、濱野谷は早くも艇界の頂点に手をかけたのである。

濱野谷 憲吾
濱野谷 憲吾 (はまのや けんご)選手プロフィール

登録番号3590。70期。東京都出身。1973年11月8日生まれ。A型。 1992年平和島でデビュー。4月23日現在で通算1121勝をあげている。1997年9月に桐生でGI初優勝、1998年10月に全日本選手権(福岡)でSG初優勝を果たしている。以後、SGは通算4V。GIは通算15V。賞金王決定戦には10回出場している。

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