無良崇人が振り返る今季のフィギュア  「世界選手権が楽しみだったけれど……」

野口美恵

四大陸選手権での好演が印象的だった羽生。無良も「羽生選手の良さがすべて伝わってきた」と高評価 【写真:松尾/アフロスポーツ】

 新型コロナウイルスの影響により、世界選手権は中止となったものの、見応えのあるグランプリ(GP)ファイナル、全日本選手権、四大陸選手権など、それぞれの選手が力を発揮した19-20シーズンが終わった。プロスケーターの無良崇人さんに、今季を振り返ってもらった。(取材日:3月17日)

羽生のプログラム変更は「成功だった」

――まずは世界選手権での頂上決戦が予想された男子3人(羽生結弦、ネイサン・チェン、宇野昌磨)について、今季の戦いぶりを伺いたいと思います。羽生結弦選手は、四大陸選手権での好演が印象的でした。

 四大陸選手権では、曲を平昌五輪シーズンのものに戻したことが、大きな変化でした。演技を見た印象は、ショート(プログラム)もフリー(スケーティング)もすごく自然に動いているなあ、というものでした。もちろん今季の「秋によせて」と「ORIGIN」も良いプログラムですが、「この動きをしよう」という意図が見える。でも四大陸選手権であらためて「バラード第1番」と「SEIMEI」を見ると、こんなに自然で身体に刷り込まれているプログラムなんだということを痛感しました。

――「バラード第1番」は、これ以上ないパーフェクトの演技でしたね。

 滑り出しの一歩目から最後までがずっと繋がっていて、よく「一つの作品として繋がる」と言うけれど、こういう事なんだな、というのを感じました。ジャンプを自然の流れのなかで跳んで、自然の流れで出て行く。いわゆる“ハマりプログラム”ですよね。自分もそうでしたが、ハマるプログラムというのは、何も感じないうちにあっという間に滑り終えているような感覚になるんです。羽生選手の良さがすべて伝わってきて、さすがだなと思いました。曲を戻すというのはリスクのあることですが、彼の演技を見たら誰もが「その戦略は成功だった」と納得する演技でした。

――「SEIMEI」は、4分半を4分にリニューアルしたプログラムでした。

 30秒縮めた部分をいかに出さないかが、よく練られていました。自然に切って繋いでいるので、どこが変わったのか分からないくらいです。そして最後のパートは、音楽と振り付けの相性を崩したくないということで、ピッチを上げて曲自体を短くしたそうです。コレオシークエンスの部分ですが、最後の最後にピッチが上がるのはしんどいことではありますが、それも見事にやってのけていました。

――4分になっても、魅力的なプログラムでしたね。

 平昌五輪までのシーズンよりジャンプ数も違いますし、修正してからの練習時間は短いと思うので、羽生選手としてはまだ100%の力までは出し切れていなかったと思います。でもやはり「SEIMEI」の曲は彼になじんでいて、良い意味での余裕が感じられました。

 その分、世界選手権に向けてはジャンプ構成も上げて来ると思っていたので、すごく楽しみに感じていました。この「SEIMEI」で新たに試行錯誤して、どういう演技、どういう勝負になるのか期待出来たので、試合の中止は少し残念なことでした。

4回転ルッツの復活は「計画的なもの」?

4回転アクセルについて「最も成功する可能性が高いのは羽生選手であることは間違いない」と無良 【写真:松尾/アフロスポーツ】

――世界選手権があれば、4回転アクセルに挑戦したかもしれませんね。

 どこまで仕上がっているのかは分かりませんが、現役選手の中で最も成功する可能性があるのは羽生選手であることは間違いないです。しかし「4回転と半分」の「半分」というのは本当に難しい部分です。

 あまりに耐空時間が長いので4回転くらい身体を締め付けることが出来ず緩んでしまう。もし緩まずに締め続けられるようになったとしても、高さ・幅・回転速度のすべての条件を完ぺきにそろえないと跳べない、本当に難しいジャンプだと思います。

――羽生選手の場合は、高さ・幅・回転速度、すべての力量があるように感じます。

 羽生選手は、高さも幅もあるので、ジャンプの質は良いです。でも試合で降りるためには、その質の高い状態をコンスタントに身に付けなければなりません。それに4回転アクセルに全神経を集中させると他のジャンプが崩れかねないですから、大変なこと。4回転ルッツまでを、難なくノーミスで跳べるという自信があってこそ挑める大技です。

――4回転半まで回るためには、あと何がコツになりそうですか。

 羽生選手の練習を見ているかぎり、やはり高さと飛距離を出しつつ、どうやって回転をかけるかを試行錯誤している様子でした。スピードを出せば飛距離は伸びますが、スピードがあり過ぎると左足が先行してしまい、高さが出せなくなります。

――ブライアン・オーサーコーチは、回転をかけ始めるタイミングを早めたいと話していました。

 回転を補うには、回転のかけ始めを早くするのは一つの作戦だと思います。自分が頂点に行くまでに余計に回っておくのは理想です。でも回転を早めにかけると、高さが出しにくくなるというリスクがあります。

 今までは両手を前に振って、そこに跳び付くようにして空中で回転をかけていたものを、右手をすぐに身体に巻き付けて回転をかける方法です。体操の選手に近い回転のかけ方とも言えるでしょう。しかしこれをやりすぎると、高さが出ず、跳ぶ方向も今までと変わるので違和感があると思います。とにかく誰も成功したことがないので、憶測のなかであれこれ条件を考えるしかないです。

――無良さんも4回転アクセルを練習したことがあるそうですね。

 僕の場合も、4回転とちょっと回って転んでいましたが、4回転目の時にはすでに身体が緩んでいました。まずは4回転の中では4回転ルッツが一番、空中にいる時間が長いので、4回転ルッツで耐空時間や身体を締め続ける感じをつかんでいくことも必要だったのかも知れません。そういう意味では、羽生選手は今季、4回転ルッツを復活させたのも、計画的なものかなと感じました。

ネイサン唯一の「弱点」はジャンプの着地

幼いころ体操をやっていた背景もあり、とにかく軸がブレないネイサン。まだまだその勢いは落ちない 【写真:ロイター/アフロ】

――羽生選手は今季25歳ですが、年齢的な条件はどう感じますか?

 僕の場合、20歳を超えてからは、1年1年、やれることの上限が下がっていくのを痛感していました。羽生選手は25歳ですから、単に身体能力という点ではピークではないかも知れません。しかし試合で何より重要なのは、集中力の高さです。五輪であそこまでの演技ができるのは、やはり羽生選手は並大抵ではない集中力があるから。

 むやみにたくさん練習するよりも、羽生選手のように映像を見て研究しながら、集中して1本跳ぶという練習は、むしろ試合に繋がります。そういう意味で、羽生選手には年齢では計れない強さがあります。

――世界選手権での対決が予想されたネイサン・チェン選手はいかがでしょう。

 チェン選手は20歳で、まだまだ勢いは落ちません。彼は身体能力が、他の選手とはケタ違いです。子供の頃に体操やバレエをやっていた影響もあり、体幹がとにかくブレない選手です。でもその体操の影響なのか、ジャンプの着地が垂直に「バン」とバウンドするように降ります。羽生選手のように、後ろに滑らせて降りると流れがあり、フィギュアスケートとして美しく、加点がつきます。その部分が、ネイサンの唯一の弱点かも知れません。

――チェン選手は、演技構成点も年々伸びてきました。

 今は20歳と若く、自分の演技の「個性」を考える時期だと思います。そのため、ショートとフリーで曲調をガラッと変えたりして、いろいろなものに挑戦しています。今季のフリー『ロケットマン』も、ヒップホップ調のシークエンスで話題になりました。ジャンプで突出した才能がありますが、それに負けないくらい、スピンもステップも演技も、すべてを伸ばしてきていて多彩な選手になりました。しかも頭も良いというのだから、本当にびっくりします。

ランビエルコーチの就任で力を取り戻した宇野

ランビエールコーチに師事することで「表現の幅が出て来た」という宇野。世界選手権も期待できたが…… 【写真:田村翔/アフロスポーツ】

――この2人の戦いに食い込んでいけそうなのが、宇野昌磨選手でしょう。

 今季の前半、コーチが不在のまま試合に出ていた頃は、本当に苦しんでいました。ジャンプが不調だからこそ、ジャンプに固執しすぎて練習して、演技までおろそかになっていく。コントロールする人がいないと、陥りがちな状態でした。選手としては、ジャンプを跳べないと勝てない時代なので、ジャンプのことばかり考えてしまうものなんです。

 それをコーチが、いろいろな観点からアドバイスしながら、凝り固まっている気持ちを刺激していくんです。(ステファン・)ランビエルコーチはまさに、良い視点を宇野選手に注いでくれて、精神的に変わったと思います。全日本選手権の公式練習の時に、宇野選手が柔らかい表情になったのを見て、ホッとしました。

――無良さんは、ランビエルコーチに指導を受けたことがあるそうですね。

 強化合宿などで指導を受けましたが、感性が鋭く、表現についての指導がとても細かいという印象でした。指先の動きとか、ちょっとした顔の向きなどの表現に、いろいろな見せ方の引き出しを多く持っているんです。宇野選手はシャイな方ですが、ランビエルコーチに多方面からのアプローチの仕方を教わっていることで刺激を受けて、表現の幅が出て来たと思います。

――正式にコーチとなってからわずか2カ月でチャレンジ・カップを迎えましたが、身体の使い方がすごく変わった印象でした。

 ランビエルコーチは、いまだに4回転や、反対回りのダブルアクセルも跳べる人です。身体の理論がしっかりと構築されていて、動きを考えて再現できる。合宿の時に言われたのは、左右の動きを均等な状態にできるよう作るべきだということでした。普通のスケーターは、左右で得手不得手が必ずあるものなのですが、ランビエルコーチはすべての動きで、ちゃんとエッジに乗れる。それが安定感のあるジャンプ、スピン、ステップに繋がるということでした。

――ジャンプについても、シーズン前半は止めていた4回転サルコウと4回転ループの練習をしているそうですね。

 宇野選手は、元々は4回転サルコウもループも跳べていました。でも今季始めは4回転フリップが不調なことから、そればかりに固執して練習していたと思います。悪いジャンプに固執すると、普通に跳べていたジャンプまで崩れるもので、シーズン前半戦にトリプルアクセルが崩れていたのは、4回転フリップに固執したことの影響でしょう。なので、4種類の4回転すべてを均等に練習するようにしたことで、かえって全部のジャンプの調子が上がっていったのだと思います。

――2月のチャレンジ・カップで調子を上げていました。

 チャレンジ・カップでは4回転サルコウも入れましたし、表現の部分も良くなっていました。あの流れで世界選手権に行けば、すごく良い演技ができたと思います。感情表現なども、今までよりも一歩深いところまで意識をしているのが伝わり、良い表情が伝わってきていました。本当に世界選手権が楽しみだったので、ちょっともったいないくらいです。

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著者プロフィール

元毎日新聞記者、スポーツライター。自らのフィギュアスケート経験と審判資格をもとに、ルールや技術に正確な記事を執筆。日本オリンピック委員会広報部ライターとして、バンクーバー五輪を取材した。「Number」、「AERA」、「World Figure Skating」などに寄稿。最新著書は、“絶対王者”羽生結弦が7年にわたって築き上げてきた究極のメソッドと試行錯誤のプロセスが綴られた『羽生結弦 王者のメソッド』(文藝春秋)。

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