田中将大様 30歳になる君へ 『野村克也からの手紙』

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野村氏が「マー君」に、激励の一通をしたためた 【写真は共同】

 高校生ドラフト1巡目で、2007年に東北楽天に入団した田中将大。チームを率いて2年目、当時71歳の野村克也氏は、球界の宝として期待された18歳の、スライダーにまず惚れ込んだという。新人時代に打たれても黒星がつかない強運ぶりを、「マー君、神の子、不思議の子」と表し、その言葉は新聞各紙で大きく報じられた。

 あれから11年。海を越えてなお、進化を続ける教え子は、18年で30歳。ヤンキースで先発の一角を担い、毎年二けた勝利をあげるなどベテランの風格も漂いつつある。そんな教え子に、野村氏は「野球選手は足腰から衰える。すべてにおいて『腰』が要になる」。本格派から技巧派へと今後、変化が予想される「マー君」に、激励の一通をしたためた。

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実るほど頭を垂れる稲穂かな

 君が(距離的にも存在的にも)“遠い人”になって、4年が過ぎた。

 11年前、君のピッチングを初めて見たとき、私はそのスライダーに惚れ込んだ。古くは西鉄・稲尾和久に、もう少し時代を下るとヤクルト・伊藤智仁に重なった。あれこそバッターが嫌がる球だった。

 特に開幕18連勝(君自身は22連勝だった)を挙げた日(13年8月23日、ロッテ戦=Kスタ宮城)のスライダーは、稲尾と肩を並べるものだった。「誘う、稼ぐ、(バッターが) 避ける」スライダーを、君は自在に投げ分けた。

 運もあったと思う。もし巨人など強いチームに入っていたら、デビューは1、2年遅れていただろう。弱い楽天に指名されてよかったな。

 あのときの楽天は、なんせピッチャーがいなかった。先発ローテーションピッチャーを5人、指折り数えようとしても、まず「岩隈久志……」と、親指だけ折ったところで止まってしまう。そこで、君を先発ローテ入りさせることにした。二軍から育て上げるのではなく、一軍で投げながら勉強させるのも一つの育成方法、と自分にも言い聞かせ、先発マウンドに送り出した。

 初めは勝てなかったな。3試合連続KOだ。

「まだ無理なんじゃないですか」

「二軍に落としたほうがいいんじゃないですか」

 記者たちにも、散々言われたよ。

 しかしあれだけ打たれ、KOされながら、不思議と君には黒星がつかなかった。終わってみれば、「敗戦投手・田中」が消えているのだ。やはり、強運の持ち主だったのだろう。「不思議な子だな」「神様がついているんじゃないかな」──そう思ったら、自然にあの言葉が口を突いて出た。

「マー君、神の子、不思議の子」

 いやあ、あれは我ながら、大ヒットだったと思う。
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