鮮烈で効果的な智弁和歌山の長打 フライボール革命前から「頭を越せぇ」

楊順行

2試合無安打の黒川が殊勲打

効果的な長打力で逆転勝ちを果たした智弁和歌山。4強進出は優勝した2000年以来のこと。写真はサヨナラ二塁打を放った黒川 【写真は共同】

「野球の神様が見ていてくれました」

 1点を追う智弁和歌山(和歌山)、10回裏の攻撃だ。2死一、二塁から左打席に入った黒川史陽が、創成館(長崎)の4番手・酒井駿輔のやや甘いチェンジアップをたたくと、打球は風にも乗ってレフトの頭を越えた。三塁走者、そして間一髪で一塁走者も還る。10回表に取られた1点をひっくり返す、逆転サヨナラ二塁打だ。

 ここまでの2戦、黒川は7打数ノーヒット。だがこの日は、3点を先制された2回の第1打席、大会初安打が左翼スタンドへのホームランとなると、延長10回の大殊勲だ。「厳しい冬を過ごしたし、打てなくてもあきらめずに練習したので、自信を持って行ったろう」という打席が、神様のお眼鏡にかなったのかもしれない。

 高嶋仁監督が言う。

「黒川は2年生だけど、左方向にも大きいのを打てる。球を呼び込んで、しっかりつかまえる力があるんです」

 相手はいい投手。ロースコアの展開になるのでは……智弁和歌山・高嶋、創成館・稙田龍生両監督の思惑とは違い、壮絶な打撃戦となった。一時は7対2と、創成館が最大5点差としたが、智弁和歌山は5回、3安打を集中して1点差に。2点を追う9回には2死から「打つのはまったく苦手」という投手・平田龍輝の2点タイムリーで延長に持ち込み、10回には劇的なサヨナラだ。

2死一塁からゴロでは点にならない

 今大会出場校のうち、現チームで大阪桐蔭(大阪)と対戦しているのは4校。秋季近畿大会の近江(滋賀)、智弁和歌山、明治神宮大会の駒大苫小牧(北海道)、そして創成館だ。智弁和歌山は近畿大会決勝で0対1と惜敗し、逆に創成館は7対4と、「春どころか夏まで負けないんじゃないか」と言われた巨大戦力に、唯一の黒星をつけている。

 だが……ベスト4進出を決めたのは、智弁和歌山のほうだった。継投策で接戦をしのぎ、初のベスト8に進んだ創成館だが、この日は繰り出す4投手がことごとくとらえられた。創成館に敗れた兄弟校の智弁学園(奈良)のリベンジを果たした格好で、稙田監督が脱帽する。「継投が後手後手になりましたが、予想以上に智弁さんの打線が良かった。あの打力、あの打球の速さ。あれを身につけないと、上には行けないんですね」

 以前高嶋監督と話したときのことだ。

「たとえば無死一塁でも、2死一塁でも、1点がほしいのは同じでしょう。だけど2死一塁からゴロを打つようでは、かりに内野の間を抜けたとしても点にはなりません。だから普段から、ゴロは打つな、野手の頭を越せぇ、という練習をしてるんですよ。ノーアウトでもワンアウトでも、ややこしいとこに打つくらいなら、野手の頭をオーバーせぇ、と(笑)。走者が一塁だとして、”打て”のサインを出せばゲッツーもありえますが、それはしょうがない。逆に、ゴロだったら、たとえヒットでも怒りますよ」

 強いゴロで野手の間を抜くのではなく、頭を越せぇ。いま流行のフライボール革命かと思うと、「いやいや、そうじゃない。私は前からそうです」と高嶋監督は断言する。文元洸成主将によると、「練習から、ライナーを打つことが基本です。頭を越せ、というのは当てに行かずしっかり振る、という意味だと理解しています」。

 確かに、創成館戦では黒川、林晃汰に一発が出て、最後の黒川の一打も外野手の「頭を越えた」ものだ。「ウチは長いのがなく、単打ばかり。智弁さんは、長打で点が取れます」とは稙田監督だが、実際の長打の数は創成館2本、智弁和歌山3本と大差はない。つまりそれだけ、智弁和歌山の長打が鮮烈で、効果的だったということだろう。

因縁ある東海大相模に「やり返さな」

 初戦は富山商(富山)、3回戦も国学院栃木(栃木)に競り勝った智弁和歌山。高嶋監督は春夏合計の出場回数も、通算67勝も歴代トップを更新した。さらに智弁学園での7勝を差し引いても60勝と、智弁和歌山単独でも、中村順司・元PL学園監督の58勝を抜いている。智弁和歌山の4強入りは、センバツでは準優勝した2000年以来。そのとき決勝で敗れたのが東海大相模(神奈川)で、次の準決勝はその東海大相模が相手という因縁だ。

「やられたらやり返さな。実際にその夏は、決勝で同じ東海大(浦安・千葉)に勝って全国制覇しているからね(笑)」

 もうひとつ、「やり返さな」の相手がいる。大阪桐蔭。なにしろ昨年は春季近畿大会(3対6)、夏の甲子園(1対2)、さらに秋季近畿大会(0対1)と、3連敗しているのだ。ことに夏の甲子園では、ヒット数で上回り押せ押せの展開ながら、ミスで敗れているだけによけいに悔しいはず。そのためにはまず、準決勝突破だ。
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著者プロフィール

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。高校野球の春夏の甲子園取材は、2019年夏で57回を数える。

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