サントスが明かす走り打ちの極意 ロッテファンを魅了するその素顔とは?
代名詞の「走り打ち」はスピードを生かし出塁率を高めるための試行錯誤から生まれた 【写真:BBM】
3月のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)──。東京ドームで開催された1次ラウンド。強豪・キューバの「1番・センター」が観客を魅了していた。華麗かつスピード感あふれる外野守備、そして代名詞となる「走り打ち」。その男が2カ月後、低空飛行を続けるロッテへ緊急加入。ダイナミックかつスピーディーなプレーで、あっという間にマリンのファンをとりこにした。
「日本の野球は進んでいる」
チームを優勝させることに集中していたし、チームが一つでも勝てるように、優勝できるようにということしか考えてなかったですね。自分にとって初めてのWBCですごく興奮していて、最初の打席はすごく緊張していました。今は同じチームの石川(歩)選手から1本打つことができて(第1打席でショート内野安打)良かったです。
──石川選手を含め日本の投手陣のイメージはどうでしたか?
スカウトの方がいろいろ情報を集めてくれていたので、特に心配はなかったですし、しっかり準備できていたと思います。
──WBCのときと現在で、日本の投手へのイメージは変わりましたか?
WBCでは互いに国を背負って戦っていましたが、今はチームとして戦っている。具体的にどうというより、その部分が一番の違いですね。今は毎日、日本のいろいろな投手のことを少しずつ知り始めているところです。
──キューバの野球と日本の野球で違うと感じる部分はありますか?
僕からしてみれば、日本の野球のほうが進んでいると思います。しっかりと組織化された野球だと思います。キューバもたくさん練習しますが、日本はもっと練習しますし、国としての環境も含めて日本のほうが整っている。若い選手が伸びていくには素晴らしい環境だと思います。選手個々のポテンシャルはキューバも負けていないと思うけど、そこの差が少しあるかなと思います。
逆に同じだなと思うのは、ファンが温かいところ。日本のファンは自分の調子がいいときも悪いときも、チームが勝っているときも負けているときも声援を送ってくれる。そこはキューバと似ているなと思いますね。それでもキューバでは時にブーイングがあったりします。だから、特にロッテファンが最高だなと思うのは、チームの状態が良くない中でも熱い声援を送ってくれるところ。気持ち良くプレーさせてもらっているし、ファンの声援に応えたいと思いながらプレーすることができています。
スピードを生かすために試行錯誤
「熱い声援を送ってくれるファンの気持ちに応えたい」とサントスは語る 【写真:BBM】
バットを振り出したのは4、5歳のころで、チームに入ったのは8歳くらいのときです。大好きなおじいちゃんが大の野球好きで、いつも野球の話をしてくれて。キューバ代表の試合やキューバ国内リーグの試合をいっしょに見ながら、野球のことを教えてくれました。そしたら、いつの間にか野球のとりこになっていて、気が付いたら今に至る、という感じです(笑)。
──小さいころからキューバ代表へのあこがれはありましたか?
野球を始めたばかりのころは、そんなこと考えられなかったですね。日本ではスポーツ店などに行くと代表やチームのユニホームが目につくところに飾ってありますけど、キューバはそういう感じではないので。最初にお母さんが用意してくれた少年野球チームのユニホームがうれしかった。2014年に米国との親善試合で初めてキューバ代表のユニホームを着てプレーするまで、自分が代表に選ばれるということは考えたこともなかったです。
──代名詞となった「走り打ち」を始めたのはいつからでしょう?
18、19歳くらいのころです。出塁率を上げるために、スピードを生かすためにどうしたらいいか、ということをコーチと話し合う中で生まれたのが「走り打ち」でした。最初は特別なことだとは思っていなかったのですが、それがまさかこんなに有名になるなんて!
──小さいころから足は速かったのでしょうか?
小さいときから足は速かったですよ。だから、そのころはよくホームランを打っていました。ランニングホームランをね(笑)。
──現在はどういうときに走り打ちを仕掛けるのでしょうか。自分のインスピレーションなのか、相手の守備位置などを見て決めるのか?
特に“ここ”というのはないですね。例えば3、4試合やらなかったら「そろそろ、やろうかな」と思うこともあるし、逆にあえて続けてやってみることもある。もちろん、やり続ければ相手も警戒してくるので、そこは駆け引きです。ただ、いずれにしても相手がどうこうよりも自分で自信があるときですね。「行けるんじゃないか!」と感じたときに自分から仕掛けていきます。
──あくまで自分次第。
そうです。最後は自分の感覚で決めます。