【女子ボクシング】藤岡奈穂子が“原点回帰”の世界4階級制覇

船橋真二郎

ミジャンの驚異的な粘りに思わぬ苦戦

女子では史上2人目となる世界4階級制覇を達成した藤岡奈穂子 【写真は共同】

 日本女子ボクシングのエース、藤岡奈穂子(竹原慎二&畑山隆則)が世界4階級制覇を達成した。女子では現役のアレハンドラ・オリベラス(アルゼンチン)に次ぐ史上2人目。藤岡は試合後、かねて目標に掲げている前人未到の5階級目に向けて、あらためて意欲を示した。

 13日、東京・後楽園ホールで行われたWBA女子世界フライ級王座決定戦は最終10ラウンド21秒、同級2位にランクされる藤岡が1位のイサベル・ミジャン(メキシコ)にTKO勝ち。2者が89対81、残りの1者が88対82。9ラウンドまでのスコアが示すように、試合は2ラウンドにダウンを奪った藤岡が終始リードしたが、ミジャンが驚異的と言っていい粘りを見せ、戦前の予想以上の難産だった。

「骨のある相手でした。中盤は(ミジャンが)効いてたんで倒れるかなと思ったんですけど、なかなか。自分もそこから打ち疲れもあって、ラッシュの精度が落ちてしまった。やってて、凄い気迫を感じましたね」

 9センチの身長差(藤岡158センチ、ミジャン167センチ)は「これまでも大きい相手とやってきたので気にならなかった」と振り返ったが、長いリーチが描くフックやアッパーの不規則な軌道、ナチュラルに遅れてくるタイミングに最後まで苦労させられたように見えた。その上、「パンチは硬かった」というのだから厄介だ。

階級を上げて下げての複数制覇の難しさ

ミジャンの驚異的な粘りに最終ラウンドTKO勝ちと思わぬ苦戦 【写真は共同】

 昨年4月、マイナー団体のWBF王座をフランスで獲得しているミジャン。前日計量の前に開かれた会見では、「日本でも同じように勝ち獲るだけ」と意気込みを示し、「身長、リーチを生かしたボクシングが得意だが、打ち合いになれば応じるし、打ち合いも好き」の言葉通りの抵抗を見せた。

 2ラウンドのダウンはパンチの交換の中で藤岡の左フックがカウンターとなったもの。立ち上がってきたところをすかさずロープに詰め、藤岡は左右の連打で勝負を決めにかかったが、強気に打ち返してくるミジャンを仕留められない。3ラウンドには右フックで鼻血を出させるが、打ち終わりに左右のフックを不用意に浴び、このラウンドは唯一ジャッジ全員がミジャンにポイントを振った。

 前がかりに攻める藤岡が再び山場を作ったのは5ラウンド。ステップインからの左フックで動きを止め、さらに強烈な右フックでミジャンの上体を傾がせた。ロープに詰めてラッシュ、立て続けの右でダメージを与えた。ところが顔を真っ赤にしながら、ミジャンが打ち返す手を止めることはない。7ラウンドには打ち終わりを左フックで狙い打たれて藤岡の顔が上がり、思わず「効いていない」と両手を広げてアピールする場面もあった。

「映像で見た限りでは、これは2ラウンドくらいで勝てるかなと思ったんだけどね」
 試合後、竹原慎二会長が吐露したように、実績は言うに及ばず、実力の差は明白と思われた両者。実際に対峙してみないと分からないやりづらさ、衰えを知らない勝利への執着心が手を焼かせたが、一方では階級を上げて、また下げての複数階級制覇の難しさを感じた。

 藤岡はWBCミニフライ級(47.6キロ)に始まり、3階級上のWBAスーパーフライ級(52.1キロ)、さらに一度はWBOバンタム級(53.5キロ)を制してから、2階級下のフライ級(50.8キロ)での戦い。

「バンタム級だと体重があるのでパンチの迫力は出るけど、スピードとかキレが若干落ちる。逆にフライ級ではスピード、キレが増すので、そこを生かしていきたい」

 試合前、藤岡はフライ級で戦うメリットをこう話していた。試合後も「絞ったほうが調子もいいし、キレも増すんで動きやすかった」と強調していたが、その言葉に素直にうなずくことはできなかった。どちらかと言えば、力強さが前面に出た戦いぶりはバンタム級時代の名残が色濃く、上半身は前にのめりがち。これが打ち終わりのところどころにパンチをもらった一因とも感じられたもの。

 一方で「正直、今回は減量がちょっとだけキツかった」と明かしたように、まだフライ級へのアジャストが十分ではなかったのか、持ち前の高い身体能力を生かした、かつての躍動感は見られなかった。

 それでも展開は一方的。藤岡の強打にミジャンの眉間から両目の周囲は無残に腫れ、凄惨さを増していく。だが、セコンドの棄権の勧めをミジャンが拒否したのは「メキシコは政治的にも経済的にも難しい状況にあって、みんな貧困の中で戦いながら生きている。その戦う気持ちを持って挑みたい」と宣言していた強い決意からだろうか。最後はコーナーに詰まったところでレフェリーにストップされたが、闘志は消えなかった。

再起決意の裏に6年前の“幻の世界初挑戦”

 藤岡にはもうひとつ、再起戦の難しさがあった。特に今回は昨年10月、メキシコでWBC女子世界フライ級王座に挑み、相手のジェシカ・チャベスが徹底的に仕掛けてきたクリンチ、ホールディングに何もさせてもらえず、消化不良のまま敗れた後。メキシコ人のレフェリーは地元の王者にろくに注意も与えず、最終ラウンドに形ばかりの減点1をようやく課しただけで直後は「ボクシングに失望した」と落胆は大きかった。

 現役続行の意志を固めた藤岡が行き着いた答えは原点回帰。だから、4階級制覇を果たした感想を求められ、「ただ勝てたということにホッとしています。前回はメキシコで負けたので、どうしてもここは勝ちたかった」と返したように、とにかく自分のために勝つことだけに集中していた。

 試合の前々日の3月11日。あらためて、思い起こしたのは6年前の幻の世界初挑戦。念願の舞台を翌日に控えていた藤岡は調印式と計量を終え、食事を済ませ、畑山隆則マネージャーの車でジムに戻る途中、地震に遭った。興行は中止。宮城県古川市(現・大崎市)出身の藤岡にとっても、それどころではなかった。

「4階級制覇が前に出てますが、また偶然、この時期に世界戦が決まって、あのときのように初心に返って、もう一度、世界に挑戦しろと言われているのかなと思った」

 アマチュアの年齢制限を目前に藤岡が34歳でプロに転じたのは、ただただ競技人生を全うしたいからだけだった。プロの世界王者はひとつの到達点。その時点でグローブを吊るすことも考えていた。

「自分のために」という気持ちに変化が生じたのが6年前。地元の応援に逆に背中を押され、2カ月後に仕切り直された世界初挑戦で王座を奪取した。翌年10月には、地元の大崎市古川総合体育館で防衛戦も行なった。さらに1年後の11月には、一気に3階級上げて、山口直子との日本人対決を実現し、2階級制覇を果たす。話題を作り、女子ボクシングを盛り上げようという一心からだった。

「年齢は感じてない」前人未到の5階級へ意欲

「自分でも年齢は感じていない」と前人未到の5階級制覇へ意欲 【写真は共同】

 それ以降も競技の第一人者として、自ら重責を担ってきたが、背負ってきたものをいったん下ろし、再出発の勝利を挙げた今、再び藤岡の目は女子ボクシングを盛り上げるためと、公言してきた5階級制覇を真っ直ぐに見つめる。

 次に狙うのは1階級下のライトフライ級(48.9キロ)。さらに難しい調整を強いられることになりそうだが、「いきなりバンタムからライトフライよりはやりやすい」と意に介していない。「レベルの高い選手と質の高い試合をしていきたい」と希望するターゲットは世界的な強豪のひとりに数えられる同じWBAのジェシカ・ボップ(アルゼンチン)、先日、メキシコで柴田直子(ワールドスポーツ)を破ったIBFのアロンドラ・ガルシア(メキシコ)。

 41歳のベテランは「自分でも年齢は感じていないし、行けるところまで年齢は頭に入れずにやっていきたい」と、まだまだ走り続ける。
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著者プロフィール

1973年生まれ。東京都出身。『ボクシング・ビート』(フィットネススポーツ)、『ボクシング・マガジン』(ベースボールマガジン社=2022年7月休刊)など、ボクシングを取材し、執筆。文藝春秋Number第13回スポーツノンフィクション新人賞最終候補(2005年)。東日本ボクシング協会が選出する月間賞の選考委員も務める。

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