迫田と木村、共に歩んだ長い戦いの終わり 「沙織さんは、強い人でした」

田中夕子

東レのリーグ戦はファイナル6で終わる

(左から)木村沙織と迫田さおりの特別なシーズンは、ファイナル6で幕を閉じた 【坂本清】

 東レアローズの選手として戦った、今季のリーグ最終戦。
 3月5日のファイナル6最終日、NECレッドロケッツとの試合を終えた後、木村沙織と迫田さおりは2人で並んでストレッチ。顔を寄せ合い、話し続ける2人の顔に涙はなかった。

「あそこの場面で、もっとああすれば良かったね」
「結局足、つっちゃったな」

 たわいない話をして、2人で並んで歩きながら、応援席に笑顔で手を振り、着替えを終えて、100人近い報道陣に囲まれて記者会見をして、部屋を出る。最後の最後で、迫田の笑顔に涙が浮かんだ。

「これが沙織さんとできる最後なんだ、ってずーっと考えないようにしていたんです。考え出したら、止まらなくなっちゃうから。でも最後なんですよね。全く実感が湧かないけど、これで最後なんだなぁ……」

 昨年のファイナル3で敗れた後、木村と迫田、そして昨シーズン限りで引退した高田ありさと3人で抱き合い、泣きながら互いをねぎらった。その時は、高田も5月の黒鷲旗全日本選抜バレーボール大会が現役最後と決めており、木村も8月のリオデジャネイロ五輪が最後、と決めていた。

 キャプテンとして臨み、「最後」と覚悟を持って臨んだリオ五輪は準々決勝で敗退。目指したメダルには届かなかったが、自分のすべては出し尽くした。インドア女子バレーボール選手としては日本人で初となる4度の五輪に出場した木村の現役生活もこれで終わり。多くの人々も、木村自身もそう思っていた。

木村の現役続行を後押しした迫田の言葉

リオデジャネイロ五輪後、悩んで、考えた結果、木村は現役続行を決意する 【写真は共同】

 少しずつ風向きが変わり始めたのは、帰国後、ひと月ほど経ってから。心身ともに休息する時間を過ごす中、木村を動かしたのは迫田だった。

 毎日のように連絡を取り合い、東レの練習も2人で見にいった。再びチームの指揮を執る菅野幸一郎監督のもとで、ハツラツと動く若い選手たちの姿は楽しそうで、「いいな」と思う気持ちはあったが、だからと言って「自分ももう一度やろう」と思ったわけではない。だが同じ時期、迫田は「今季も沙織さんと一緒にプレーがしたい」と強く思い始め、覚悟を決めて「沙織さんが続けるなら私も続けるし、沙織さんがいないなら私も続けません」と直談判した。

「プレッシャーに思わないで下さいね」と付け加えられてはいたが、自分の選択が、迫田の選択にも左右する。そう思えば当然、木村にはプレッシャーがかかり、迷いも生まれる。続けるか、やめるか。いろいろなことを考えるうち、リオデジャネイロ五輪は治安や距離を考慮し、母やいつも応援してくれた人たちに自分のプレーを見てもらえなかった、という心残りや、もう一度菅野さんのもとでバレーがしたい、という自身の気持ちに気づいた。

 悩んで、考えた結果、木村は現役続行を決意し、ラストシーズンを迎えた。
 その決心を、「跳び上がるほどうれしかった」と迫田は振り返る。

「東レでも全日本でもずっと沙織さんと一緒にやってきて、特に最近はより一層沙織さんのすごさとか、強さとか、『本当にすごい人だ』と伝わって来たんです。どうしても、もう少し沙織さんとプレーがしたかったから、その思いを伝えずに終わるのは嫌だ、後悔したくない、と思って必死でした」

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著者プロフィール

神奈川県生まれ。神奈川新聞運動部でのアルバイトを経て、『月刊トレーニングジャーナル』編集部勤務。2004年にフリーとなり、バレーボール、水泳、フェンシング、レスリングなど五輪競技を取材。著書に『高校バレーは頭脳が9割』(日本文化出版)。共著に『海と、がれきと、ボールと、絆』(講談社)、『青春サプリ』(ポプラ社)。『SAORI』(日本文化出版)、『夢を泳ぐ』(徳間書店)、『絆があれば何度でもやり直せる』(カンゼン)など女子アスリートの著書や、前橋育英高校硬式野球部の荒井直樹監督が記した『当たり前の積み重ねが本物になる』『凡事徹底 前橋育英高校野球部で教え続けていること』(カンゼン)などで構成を担当

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