楽天・聖澤、静かに燃やす復活への闘志 新たな境地で挑むキャリア10年目

週刊ベースボールONLINE

キャンプでは途中から1軍へ上がり、調整とアピールを両立 【写真:BBM】

 かつての盗塁王・聖澤諒が、静かに闘志を燃やしている。若手の台頭、そして首脳陣の方針もあり、それまで手にしていたレギュラーの座は約束されたものではなくなった。自分自身の内面に芽生えた葛藤と、とことん向き合った2016年。それをクリアして迎える新たなシーズン。キャリア10年目の31歳は、新たな境地で白球を追いかけている。

納得するには程遠い2016年

 2月13日から沖縄・金武町で始まった東北楽天の2次キャンプ。2月とは思えぬ強い日差しの中で、聖澤は汗を流していた。プロキャリアは10年目に突入する。「去年の今ごろとはまったく違った自分がいます」。穏やかな口調で語り出したが、この1年を振り返るには、多少の苦味を思い出さなければならない。

 16年シーズン、開幕1軍に名を連ねたものの、スタメン出場は7試合目の4月2日まで待たなければならなかった。ベテラン・松井稼頭央の故障により巡ってきたチャンスだった。ここからレギュラー定着の流れになったが、2軍から同じ左打ちの島内宏明が昇格し、定位置を争うライバルに。そして、ドラフト1位ルーキー・オコエ瑠偉の存在もあった。梨田昌孝監督には「オコエを仙台のファンに見せてあげたい」という“親心”もあり、この新人を積極起用。そのあおりを受けたことも確かだった。4月後半から9試合連続でスタメン出場したこともあったが、それ以上は続かなかった。

「春先から調子が良くて、打率が3割を超える中で出場機会が減っていき、『何でなんだろう』と思うこともありました。精神的なところでダメージがあったというか、コントロールするのが難しかったです」

 それでも、自身のメンタルをしっかりと保ち続ける。それには、一つの理由があった。
「選手の起用法は自分が決めるわけではない。自分がコントロールできないことで悩んだりする時間がもったいなかった。悩むことで、いざ試合に出たときに調子が上がらないのが一番嫌なんです。使う、使わないは首脳陣が決めることなので、自分ができることをやろうと」

 そんな我慢が実った試合があった。6月11日の広島戦(Koboスタ宮城)。この日が34試合目のスタメン出場だった。3打席凡退後の第4打席、代打・後藤光尊が同点タイムリーを放った直後に打席に立つ。2死一、三塁のチャンスで、ヘーゲンズから一、二塁間をしぶとく破る決勝打を放った。

「もうちょっと、会心の当たりを打つ予定だったんですけどね」

 お立ち台に上がったヒーローは笑顔で振り返った。この時点で打率3割2分8厘。指揮官も「オコエが目立っているからそんなに目立たないけど、質より“諒”と言うしね」と、得意のダジャレを交えて称賛した。だが、以降もスタメン定着にまでは至らない。かつての自分なら耐え切れなかっただろうと振り返る。

「もともとの僕の性格なら、それによって投げ出したり、適当にやったり、キレたりということがあったかもしれない。以前もそういう失敗をしたことがありましたから」

 結局、シーズン中に2軍落ちすることは一度もなかったが、スタメン出場は46試合、途中出場が48試合と、前者が後者をわずかに下回った。打順も2番の25試合を筆頭に、1番、3番、6番、7番、9番と、固定されることはなかった。崩れそうな心身のバランスを辛うじて保ってきたが、納得するにはほど遠いシーズンとなってしまった。

現実味を帯びたFA移籍の選択肢

16年6月11日の広島戦では8回に決勝打を放ち、お立ち台に。少ないチャンスの中で結果を残してきた 【写真:BBM】

 ブレークを果たしたのはプロ3年目の10年で、150安打をマークした。11年には143安打、52盗塁。この年は福岡ソフトバンク・本多雄一の60盗塁に及ばなかったが、最も輝きを放った12年は「1番・センター」に定着すると、141安打、54盗塁。初めて盗塁王のタイトルを手にした。だが、それが今では“過去の栄光”となりつつある。球団初のリーグ優勝、日本一を達成した13年は120試合出場でその一翼を担ったものの、14年は出場機会がほぼ半減。16年まで3年連続で100試合出場に届かないままだ。

 チャンスが欲しい。試合に出たい。プロ野球選手であるならば、そう考えるのが自然だろう。オフが近づくにつれ、“FA移籍”という選択肢が現実味を帯びていく。

「残るのがいいのか、出るのがいいのか。今後の野球人生において、何が一番いいのかを考えました。1人で考えたり、家族、周りの人に相談したり。もちろん、いろいろな意見をいただきました」

 妻には、「あなたの野球人生なんだから、出るならついていく」と言われた。FA移籍か、残留かと取り沙汰される中、一個人の問題でチームメートに迷惑を掛けるわけにはいかず、誰にも相談できなかった。それでも、いつものように接してくれた仲間に感謝した。さらには、ファンからの手紙も胸に響くものがあった。

「いただいた言葉のほとんどは『出ていかないで』でした。でも、中には『出ていったとしても、聖澤選手を応援し続けます』という熱い言葉もあって。どのチームであっても、僕がレギュラーとして活躍する姿を見たいということでした。僕がもどかしさを感じていたのと一緒で、ファンの方々も苦しかったんだと気付かされた出来事でした」

 葛藤はしばらく続く。そして、悩んで悩み抜いた末に出した結論は、「楽天残留」だった。「もともと、自分は楽天に拾ってもらった身ですから。球団には恩義を感じていますし、成績が下がっている中でFA宣言したところで、手を上げてくれる球団があるかも分からない。そんな状態のまま移籍するのは違うんじゃないかと思いました。今年、もう一度活躍してから考えてもいいのではないかと」

 プロに入った当初は、10年も野球が続けられるとは思っていなかったという。それが、活躍できたシーズンもあったし、優勝、日本一も味わうこともできた。だからこそ、マイナスイメージを抱いたままクリムゾンレッドのユニホームと決別するわけにはいかなかった。

「昨季は苦しいことの連続でした。でも、だからこそ精神的に成長できたと思うんです。調子が良くても、試合で結果を出しても、打率が3割を超えていても試合に出られないこともあった。やり返したいという気持ちは大きいです。3割打ってもダメなのか。そう考えるのではなく、だったら3割3分、それでもダメなら3割5分打てばいい。そうすれば文句なしで出してくれるでしょう。そう思えるようになりました」

 昨年の契約更改時、今季の目標として「打率4割、100盗塁」を掲げた。途方もない数字だが、これこそ意気込みの表れ。

「去年の数字で認めてもらえないなら、もっといい成績を残さないと。今はその意欲しかないですね」

 迷いがなくなった今、出てくるのは前向きな発言ばかりだ。

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