熊本に紫紺の大旗を持ち帰る――149キロ右腕の熊工・山口翔の覚悟

週刊ベースボールONLINE

過去に春20回、夏20回の甲子園出場回数を誇る熊本工高のエース・山口。10年ぶりのセンバツ出場の原動力となった 【写真=BBM】

 第89回選抜高校野球大会の選考委員会が1月27日に行われ、甲子園への出場32校が決まった。10年ぶり21回目の出場となった古豪・熊本工をけん引する右腕エースは最速149キロを誇る。さまざまな“思い”を秘め、同校グラウンドで汗を流している。

「自分の力を試してみたい」

 約15キロの重量がある丸太棒を持ち、グラウンド1周。田島圭介コーチが、ストップウオッチ片手に目を光らせる。山口翔は設定タイム内にゴールしようと、必死の形相で本塁付近に飛び込んだ。その横で安田健吾監督が大きくうなずく。

「握力を含め、ウエート・トレーニングよりも全身が鍛えられる。大人が持ったら、腰を痛めてしまいますよ……(苦笑)」

 冬場の厳しいメニューも前向きに消化できるのは、目標があるからだ。熊本工は昨秋の九州大会4強に進出し、主将・藤村大介(現巨人)を擁して以来10年ぶりの春の甲子園を決めた。149キロ右腕エースは興奮を隠し切れない。

「全国を経験したことがない。自分の力がどれだけ通用するか、試してみたい」

 私学強豪からも誘いがあった山口が古豪・熊本工を選んだ理由はこうである。

「中学当時、九州学院が強くて、強い相手を倒して甲子園に行きたいと思った」

戦線離脱中に熊本地震を被災

 1年秋から控え投手(背番号10)でベンチ入りすると、2年春からエース。ひと冬で最速を141キロまで伸ばし、背番号1をもらった。だが、県大会1回戦(対八代東)の前日(3月22日)、走塁練習中に右足首のじん帯を痛めた。山口の登板機会はなく、3回戦で敗退している。

 約2カ月の戦線離脱中、熊本地震で被災した。「1回目(4月14日)は部活後の帰宅途中でした。自転車が傾いて……。恐怖と親が心配で……。2回目(同16日)は寝ていたんですが、経験したことのない揺れで……」。ライフラインが寸断され2日間の車中泊、近くの体育館での5日間の避難生活も経験している。

 5月の大型連休明けまで学校は休校。自粛していた野球部の活動再開後も、山口は治療と地道なリハビリ生活が続いた。体幹、腹筋を鍛え、右肩の筋力を落とさないため、座ったままのネットスロー。何とか、夏の県大会に間に合わせた。

プロに進んだ秀岳館主将の言葉

 センバツ4強・秀岳館との準々決勝で山口は1回途中から救援すると、9回まで投げ切り、6対6で延長に突入した。

「指先がつりそうでした……」

 10回裏1死満塁。迎えるは1番・松尾大河(横浜DeNA3位入団)だったが、フルカウントからファウルで粘られ、最後は根負け。160球目のストレートは、松尾のグリップ付近に当たり痛恨のサヨナラ押し出し死球(6対7)。無念の思いで藤崎台球場を引き揚げる際、2年生エースは秀岳館主将・九鬼隆平(福岡ソフトバンク3位入団)から声をかけられた。

「春の甲子園目指して頑張れよ、と。良い人だな〜と。九鬼さんは大人です。新チームで頑張ろうと、切り替えました」

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