評価すべきはチームの成功か、個人か? 曖昧になった「最高の選手」の定義

フットボールとは一体何なのか?

2016年にあらゆるタイトルを獲得したC・ロナウド 【写真:ムツ・カワモリ/アフロ】

 FCバルセロナは今、プレー内容を見る限り最高の状態にあるとは言えない。現在のチームにトップレベルと言える選手は多めに見ても13人しか見当たらず、監督はチームが苦境に陥った際に頼るべき戦術的な打開策を提示できずにいる。そのため、当然ながら最近は過去数年と比べて結果も出しづらくなってきている。

 先週末のエイバル戦でも前半の25分すぎまで苦戦を強いられたが、最終的には4−0の大勝を納めることができた。リオネル・メッシがゴールのコレクションを1つ増やしただけでなく、チームメートに多くのアシストを提供する活躍を見せたからだ。他の選手たちが決定力不足を露呈しなければ、点差をさらに開げていたことだろう。

 メッシはリーガ・エスパニョーラの通算最多得点者であるだけでなく、これまで驚くべきプレーと素晴らしいフィニッシュ、さらには質の高いアシストの数々を積み重ねてきた。その上で問いたいのは、メッシがトップデビューした2004年から現在に至るまで、仮にメッシがいなかったとしたらバルセロナは同じチームであり得たか、ということだ。

 この質問と合わせて、もう1つ問いたいことがある。この競技にプロフェッショナルとして関わる人々にとって、フットボールとは一体何なのか。アートなのか。科学なのか。もしくは統計――ゴール数や勝ち点、勝利数や獲得タイトル数――で計ることができるものなのか、と。

 少なくともプロのレベルにおいて、フットボールは競技であるだけでなく、スペクタクルでもある。人々はスタジアムで観戦するためにチケット代を払い、有料チャンネルでテレビ観戦するために契約料を払っている。ゆえにプロ選手はプレーでその対価を払わなければならない。誰に対して責任を負うこともなく、ただ好きでプレーしているアマチュアプレーヤーとの違いはそこにある。

近年重視されるのは「何を勝ち取ったか」

近年は選手のパフォーマンス以上に「何を勝ち取ったか」が重視されている 【写真:ムツ・カワモリ/アフロ】

 フットボール界では随分と前から、1年の総括を行う年末に個人賞の表彰が行われてきた。中でも世界的な名誉と権威を誇ってきた「バロンドール」と「FIFA(国際サッカー連盟)年間最優秀選手賞」は、FIFAとフランスフットボール誌の提携により15年まで10年にわたって1つの賞となっていたが、今回から再び独立した2つの賞に戻された。

 FIFAが新設した「ザ・ベスト・FIFAフットボールアウォーズ」、各国の専門記者によって選出される「バロンドール」ともに、その年のベストプレーヤーを選ぶ基準は選手個人がどんなプレーを見せたかではなく、何を勝ち取ったかが重視されるようになってきている。

 各国代表の監督とキャプテンが投票する「ザ・ベスト」には、主観的な投票が多いという問題点がある。投票権を持つ選手が仲の良いスター選手へ投票するケースや、ライバルチームの選手への投票を避けるケース、母国の代表を率いる監督が自国の選手に投票するケースなどがそれに当たる。

 だが投票リストに目を通すだけで分かるこれらの傾向以上に大きな問題として、もう一度本稿の中心となるテーマを考えたい。結局これらの賞はいち選手のパフォーマンスを評価した個人賞なのか。それとも選手がその年に手にした結果、すなわち所属チームの功績を評価したものなのか。

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著者プロフィール

アルゼンチン出身。1982年より記者として活動を始め、89年にブエノス・アイレス大学社会科学学部を卒業。99年には、バルセロナ大学でスポーツ社会学の博士号を取得した。著作に“El Negocio Del Futbol(フットボールビジネス)”、“Maradona - Rebelde Con Causa(マラドーナ、理由ある反抗)”、“El Deporte de Informar(情報伝達としてのスポーツ)”がある。ワールドカップは86年のメキシコ大会を皮切りに、以後すべての大会を取材。現在は、フリーのジャーナリストとして『スポーツナビ』のほか、独誌『キッカー』、アルゼンチン紙『ジョルナーダ』、デンマークのサッカー専門誌『ティップスブラーデット』、スウェーデン紙『アフトンブラーデット』、マドリーDPA(ドイツ通信社)、日本の『ワールドサッカーダイジェスト』などに寄稿

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