【ボクシング】下馬評覆し世界王者となった小國以載 冷静に見極めてつかんだ“2”の勝算

船橋真二郎

「8−2でチャンピオン有利」と思っていた

昨年末、圧倒的不利の下馬評を覆し、IBF世界スーパーバンタム級王座を奪取した小國以載(左) 【写真は共同】

 ここ数年、年末の恒例となったプロボクシングの世界戦ラッシュ。2016年は12月30日、31日の2日間、東京、京都、岐阜の3都市4会場で7つのタイトルマッチが行われた。その中でも、ひときわ輝き、痛快な驚きをもって結果を受け止められたのが、世界初挑戦で見事にIBF世界スーパーバンタム級王座を奪取した小國以載(角海老宝石)だったかもしれない。

 戦前は挑戦者不利の予想が多数を占めた。大みそか、島津アリーナ京都(京都府立体育館)で小國が挑んだのは、22勝22KO(1無効試合)とKO勝率100%を誇るジョナタン・グスマン(ドミニカ共和国)。同年7月には、大阪で行われた王座決定戦で和氣慎吾(古口)を4度倒す11回TKO勝ちでベルトを奪い、その強打を印象づけていた。

 小國自身、グスマン挑戦が決まったときから「8−2でチャンピオンが有利」と言い続けていたが、ふたを開けてみれば、ダウン未経験の王者を3ラウンドに左ボディで倒すなど、堂々と渡り合い、ジャッジ全員が115対112とつける3−0の判定で勝利を手にした。自分が不利とする一方で、小國が口にしてきたのが「“2”あれば十分」ということ。小國はどのような考えをもって、グスマン戦に臨んだのか。殊勲の新王者に話を聞いた。その裏には自分自身はもちろん対戦相手、状況を冷静に「客観視する」という小國なりの勝算があった。

「立ってさえいればチャンスある」と分析

KO率100%のグスマンに対し、勝てる可能性は“2”だったと話す小國 【スポーツナビ】

――グスマン戦から2週間以上が経ちました。今、あの試合をどう振り返りますか?

 なんですかね。いつもの自分じゃないような感じはありますね。試合前はいつも、めっちゃ緊張して、ヤバいんですよ。怖くて。それは多分、ここで負けたら、もう世界戦はできないんじゃないかっていう怖さ。今回も試合前日とかはごっつ怖かったし、緊張しましたけど、会場に入ったら、パッと吹っ切れましたね。世界戦やし、これが最後。勝って世界チャンピオンになるか、負けて引退するかのどっちかやろ、と。逆に怖いもの見たさというか『世界チャンピオンの強さはどんなんやろ?』という楽しみのほうがあったかもしれないです。

――ずっと8−2でグスマン有利と言ってきた。それだけの強さを感じましたか?

 いや、ほんまに強かったですよ。めっちゃ強い。でも、それは見た感じでも分かってましたからね。スピード、パワー、身体能力、どれをとっても自分より全然上やったんで。

――そのグスマン相手に勝つ確率を2割と考えていた。あらためて自分が勝つ可能性の2割をどこに見ていたのでしょうか?

 まずグスマンは無敗で、KO率100%。ということは、あのパーフェクトレコードを引っさげて、ここからもっと上を狙うじゃないですか?(グスマンはすでにアメリカで5戦していた)
 それに僕は和氣さんにも負けている(小國は東洋太平洋王者時代の13年3月、4度目の防衛戦で和氣に10回終了TKO負けし、王座を陥落)。まあ、なめますよね。そう考えたら、どんな状況であっても絶対倒しに来るでしょ。ということは、立ってさえいれば、カウンターをぶち込むチャンスが最後まであるわけなんですよ。これがWBAチャンピオンの(ネオマール・)セルメニョ(ベネズエラ)だったら絶対来ない。12ラウンドのうち6ラウンド取ったら、ドロー(引き分け)でも防衛やし、リスクは冒さない。でも、グスマンは違うんですよ。倒せるなら、1ラウンドからでも全部来る。だから、どこかにカウンターで倒せるチャンスがある。そこが自分の中での“2”やったですね。

――セルメニョのように勝ちに徹するタイプではないグスマンには隙がある。あとはその隙を突けるか、どうかだと。

 そうなんですよ。でも、メディアには8−2と言ってましたけど、ほんまに仲の良い人には『正直9−1で不利に決まってるやん』と言ってたし、試合までに8−2から7−3、6−4に持っていければとか言いましたけど、俺がどんだけ練習しても、あんなパンチ力はつかへんし、スピードもつかへんし、絶対に変わらんのは分かってましたから。でも、その“1”の活路があったから、ハマれば行けるという自信はありました。そこに賭けるしかないな、と。

ダウンを奪っても「焦らず、変わらず」

第3ラウンドでダウンを奪った際は、無理に攻め込まず、変わらずの戦いだけを心がけた 【写真は共同】

――その狙いどおり、3ラウンドにリターンのタイミングの左ボディでダウンを奪いました。狙いのひとつとして、ボディというのは頭にありましたか?

 いや、ボディでも顔面でも、どっちでも良かったんですよ。ほんまのことを言えば。ただ、あのタイミングのボディはめっちゃ練習してました。ミット打ちでトレーナーの阿部(弘幸)さんが来たところをブロックして、ボディとか。ボディでスタミナを削って行こうというのもあったし、それが運良く、思いきり入ったんでラッキーでしたね。でも、1ラウンドはこっちが抑えたけど、2ラウンドはグスマンが出てきたんで、3ラウンドは絶対に来るなとは考えてました。腹をくくって、(カウンターを)取りに行くぞ、という気持ちはありましたね。

――世界初挑戦で3ラウンドという早い段階でダウンを奪った。あそこで「行かなきゃ」とか「チャンスはここしかない」とか、舞い上がってしまうケースが多々あると思いますが、冷静でしたね。ニュートラルコーナーで待っているとき、どんなことを考えていましたか?

 ボディって、自分も経験があるんで分かるんですけど、意識はあるんですよ。苦しいだけで脳はしっかりしてるから。その苦しい中で打つか、打たへんかだけであって、打てるんですよね。グスマンも腹は効いてたと思うけど、ガードを下げて、上体を柔らかくして、どっからでも打てる体勢をつくってきたし、ああいうときって、変に深追いして、カウンターをもらって逆転があり得るときなんですよ。これは危ないなと感じたから、打てるタイミングがあって、もう1回、ボディで倒せたらラッキー、打てないなら10対8でよし、という感覚でした。

――確率的に考えると自分がもらう可能性も高い。だったら2ポイント取れたし、OKだったと。

 まあ、いちばんは『もう立ってくれるな』と思ってたので。『頼む! やっぱり立つか』と(笑)。でも、(グスマンとしては)10対8で取られたんやから、そのあとのラウンドは来るわけでしょ。もっと粗くなるわけでしょ。雑さが出てくるでしょ。余計に狙いやすくなるじゃないですか。

――必ず出てくるし、倒せる確率も上がっているから、また1ラウンド、1ラウンド、倒せるタイミング、勝負を懸けるタイミングを変わらず狙い続けて行こうということですね。

 変わらず、変わらず。ただ、グスマンが効いているボディは打って行こうとは思ってましたね。まあ、もう左手も右手も痛かったけど。

――結構、早い段階で痛めてしまったということでしたが。

 右は1ラウンドの一発目の右で『あ、痛い』と。これは変なところに当たったなってなったんですけど、打てないレベルではなかったんで。左は2ラウンドくらいに気づいたら痛くて。でも、ここ(親指)やったから、こっち(拳)は打てるんで助かりましたね。ただ、右は3か4ラウンドくらいでだいぶ痛くなって、9ラウンドの前に『ヤバい、打たれんくらい痛い』と阿部さんに言ったのは覚えてます。でも、負けたら引退と考えてるんやから、もう最後やし、どうなってもええやんと思って。良かったのは終盤、向こうがカウンター狙いになったこと。打ちに行ってもガードされて、自分がバテて、ボディを打たれるだけやということに気づいたんでしょう。だから、わざと下がって、俺を引き込んでカウンターを狙ってたんですよ。そうなったら、こっちはラク。向こうの思惑どおりに行かないで、軽く打って、ポイントを取ればいいんやから。

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著者プロフィール

1973年生まれ。東京都出身。『ボクシング・ビート』(フィットネススポーツ)、『ボクシング・マガジン』(ベースボールマガジン社=2022年7月休刊)など、ボクシングを取材し、執筆。文藝春秋Number第13回スポーツノンフィクション新人賞最終候補(2005年)。東日本ボクシング協会が選出する月間賞の選考委員も務める。

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