“怪物”江川を引退に導いたあの一発 小早川毅彦氏が振り返る運命の瞬間
劇的な逆転サヨナラ弾を放った小早川。広島はこの勝利で一度踏みとどまったが、結局巨人に優勝を許している 【写真:BBM】
打者の目からは、浮かび上がるようにも見えた快速球を武器とした江川。ストレート待ちのバッターにストレートを投げ込み、相手の想定以上の球速と伸びで空振りを取ることに美学を持っていた男だ。渾身(こんしん)の快速球対強打者のフルスイング。そこには見る者を魅了するすごみがあった。
だが、プロ野球選手・江川の“旬”は短かった。1980、81年と2年連続最多勝も、19勝を挙げた82年後半に肩を痛め、球威が一気に落ちる。それでも2ケタ勝利は続け、86年は16勝、迎えた87年も8月終了時点で好調な打線にも支えられ、12勝2敗と大きく勝ち越していた。ただ、肩の調子は悪化の一途。だましだましのピッチングが続き、9月に入ってからは2連敗を喫していた。
対して、巨人と優勝争いを演じていた広島の4番が小早川だ。6月に9本塁打、26打点で月間MVP。一時は打点王争いでも独走していた。夏場に調子を崩したが、9月に入り本来の状態に戻りつつあった。
9月19日から広島市民球場で2位の広島が首位巨人を迎えての3連戦。両者の差は6ゲームと広がり、しかも19日の初戦は巨人が勝利を飾る。続く20日の2戦目は、広島にとって絶対に負けられない崖っぷちの戦いだった。
この試合の先発が江川だ。
「ねじ伏せるピッチング」を披露した江川
当時、目立っていた“かわすピッチング”ではなく、全盛期だった81年前後と同様、ストレート主体の“攻めるピッチング”で、1回から4回まですべて3者凡退に切って取る。
「ほんと速かった。ほかの打者の打ち取られ方を見ても、まったく対応できていませんでした。抑えの佐々木主浩(元横浜)、藤川球児(阪神)が全盛期のとき、力でねじ伏せるようなピッチングをしましたよね。相手が手も足も出ないような。そういう打ち取り方を初回からしていましたね」
広島先発の金石昭人も好投を続け、3回を1安打無失点。しかし4回表、巨人が篠塚利夫のタイムリー二塁打で先制する。小早川の2打席目は5回の先頭だ。
「江川さんの球種は基本ストレートとカーブの2種類ですが、僕のときはカーブが多かった。全部ストレート待ちなので、それを知っていたこともあるでしょうし、あのカーブが最初まったく打てなかったんですよ。僕はストレートのタイミングで待って変化球にも対応するというスタイルで、ストレートでも変化球でも打ち方を変えませんでした。要はベースの上を通過するスピードが遅いか速いかだけ。ストレートなら振り出しを早く、変化球なら遅くするという感覚でした。
でも、江川さんのカーブは、それでは打てなかったんです。ドロンとした大きな曲がりに見えたかもしれませんが、打席で見るとキュッと鋭く曲がる。僕は左打者ですから、ふつうのカーブと同じように打ちにいくと、バットの根元に当たり、詰まって内野ゴロになるんです。だから、江川さんのカーブを狙うときだけ別の打ち方があった。ヘッドを遅らせて内から絞り出すように振るスイングですね」
この打席は会心とは言えなかったが、初球のカーブをセンター前にはじき返す。広島の初ヒットだ。しかし江川は動じることなく後続を断ち、6回裏も先頭打者の達川光男を四球で出したものの、その後をピシャリ。7回も簡単に二死を取り、小早川へ打席が回った。