松本山雅、J1昇格は逃すも攻守で進化 今季の悔しい経験を糧にして飛躍を

元川悦子

昇格プレーオフ準決勝に敗れ、後味の悪い幕切れに

松本山雅はプレーオフ準決勝で敗れ、J1昇格の夢を絶たれた 【(C)J.LEAGUE PHOTOS】

 冷たい雨の降りしきる11月27日の松本平広域公園総合球技場(アルウィン)。1週間前の20日に行われたJ2最終節の横浜FC戦は過去最高となる1万9632人の大入りを記録した松本山雅の聖地が、この日はわずか1万2200人。物寂しい印象は否めなかった。J1昇格プレーオフ準決勝の相手は6位のファジアーノ岡山だったが、松本を取り巻く人々のどこかに「岡山戦は大丈夫だろう。最大の山場は12月4日の決勝」という楽観があったのかもしれない。

 そのムードを突くように、岡山は鋭いカウンターから先制点を奪ってきた。前半23分、今季J2で14ゴールのチーム最多得点者・押谷祐樹が一気に前線へ抜け出し、右足を振り抜いたのだ。松本は喜山康平が赤嶺真吾に競り負け、後藤圭太、岩間雄大の押谷へのフォローも遅れ、GKシュミット・ダニエルもシュートを防げなかった。今季、J2最少失点を誇る守備陣がいとも簡単に崩されてしまったのだ。

 この1点で大きな重圧を背負った選手たちは攻めあぐみ、0−1のビハインドで試合を折り返す。後半開始5分に工藤浩平がフリーで放ったシュートも左ポストを直撃。運にも見放された印象だった。だが、反町康治監督が後半20分に投入した宮阪政樹の左CKをパウリーニョが頭で押し込んで、後半29分に松本が同点に追いつく。虎の子の1点を守り切れれば、1年でのJ1復帰が見えてくる。ここまで曇りがちだったアルウィンの熱気もがぜんヒートアップした。

 しかし、後半アディショナルタイムにまさかの展開が待っていた。捨て身のパワープレーに出た岡山に対し、松本は防戦一方になり、自陣に下がって跳ね返すので精いっぱい。そんな中、岡山は矢島慎也のパスを豊川雄太が頭で折り返し、ゴール前でフリーになった赤嶺が左足を一閃。勝負を決める2点目を挙げたのだ。

 この時、松本は守備が混乱し、岩政大樹をマンマークしていた三島康平も赤嶺に対応できなかった。「僕が前に上がれば三島君は下がるしかない。自分の仕事は前に居残って相手の守備陣をゴチャゴチャさせることだった」と、岩政はしてやったりの表情を浮かべた。試合巧者ぶりを見せた岡山の前に松本は地獄の底に突き落とされ、J1昇格の夢を絶たれたのだった。

「(2014年のJ1昇格時の83を上回る)勝ち点84を取ったことは胸を張っていいと選手には話しました。私にとってこれ以上のチームを作るのは至難の業。何か一歩足りなかったのかなと強く反省しております」と5年間指揮を執った知将も苦渋の表情を浮かべたが、24勝12分け6敗という好成績を残したチームがJ1に上がれなかったのは紛れもない事実。非常に後味の悪い幕切れになってしまった。

出遅れた序盤から急速に完成度を高める

3月に補強した高崎寛之がすぐさまフィットするなど、松本は急速に完成度を高めた 【(C)J.LEAGUE PHOTOS】

 J1初参戦の昨季を16位で終え、再びJ2の舞台で戦うことになった今季の松本。反町監督は続投したが、エルシオ・フィジカルコーチ以外の現場スタッフが一新。昨季までの主力だった岩上祐三(大宮アルディージャ)、村山智彦(湘南ベルマーレ)、前田直輝(横浜F・マリノス)らが移籍し、エースFWのオビナもけがで出遅れるなど、序盤は暗雲が立ち込めていた。

 シュミット、當間建文、宮阪、山本大貴らを補強し、2月28日の開幕節・ロアッソ熊本戦を迎えたが、0−1とまさかの黒星スタートを強いられる。第2節では横浜FCに勝ったものの、3月中旬以降は清水エスパルス、ジェフ千葉、レノファ山口に3戦未勝利。続く4月3日のV・ファーレン長崎に引き分けた時は16位で、プレーオフ圏内の6位もはるかに遠い位置にいた。

 それでも、3月末に鹿島アントラーズから緊急補強した高崎寛之がフィットし、工藤や山本が得点力を上げ、左サイドに定着した那須川将大も破壊力を高めるなど、チーム状態が上向き始めた。反町監督は低い位置でブロックを作って奪ったボールを縦に蹴り出す従来の形のみならず、前から連動したプレスで高い位置からボールを奪いにいき、攻撃もボール保持率を高めながらゴールを狙うという新たなスタイルを模索。それが徐々に浸透し、結果に表れるようになった。

 J1昇格のライバルと目されたセレッソ大阪とホームで対峙(たいじ)した5月3日の第11節は、相手エースの柿谷曜一朗の個の力に屈したものの、内容自体は上回り、指揮官も大いに自信を深めた。続く7日の東京ヴェルディ戦では高崎がハットトリックを達成すると同時に、宮阪が伝家の宝刀である直接FKをたたき込んで4−0で圧勝。チームにさらなる弾みがついた。さらに5月22日の第14節・町田ゼルビア戦を1−0でものにし、プレーオフ圏内の6位に上がった時には反町監督自身が「チームが予想以上に早くできた」と発言。それほど急速に完成度を高めていったのだ。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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