ユーロ最小国、アイスランドの奇跡 「現実となったおとぎ話」の背景

木村かや子

プロリーグがないアイスランド

人口わずか33万人の北欧の島国、アイスランドがユーロで大躍進を遂げている 【写真:ロイター/アフロ】

 ユーロ(欧州選手権)の多々あるシンデレラ・ストーリーの中でも、「現実となったおとぎ話」を生きている最たるチームが、人口わずか33万人の北欧の島国、アイスランドの代表だ。国内にプロリーグがない国(セミプロ)が、予選でオランダやチェコ、トルコと同居したグループでユーロ本大会行きの切符を獲得。初出場のユーロでは予選ラウンドでポルトガル、ハンガリーと引き分け、オーストリアに2−1で勝って、無敗でグループ突破を決めた。そして、彼らは大喜びはしたが、この結果に驚いてはいないのだ。

「ベスト16に行けると本気で信じているんだ。その目標を達成したら、その先は当たって砕けろだ」

 こう言っていた選手たちは寒く厳しい気候にたたき上げられた強い意志を武器に、臆することなくトーナメントラウンドに挑戦する。

混戦となったグループFから勝ち上がる

 グループ最終戦まで、全チームにグループ突破の可能性が残っていたグループFは、大会一の混戦区だった。第2戦終了後、唯一ハンガリーが負けても最低3位でのグループ突破を見込めたが、残りは完全なカオス。そして大会イチのダークホース、アイスランドは3つの引き分けと3位でのグループ突破では満足しなかった。勝てば決勝トーナメントでの初戦の相手がイングランドとなるのは分かっていたが、より不利になるかもしれないというような計算は、彼らの頭にはなかったのである。

 ポルトガル、ハンガリーの双方と引き分けたアイスランドは(共に1−1)、ポルトガルと勝ち点では並ぶグループ2位として、最終試合の対オーストリア戦に挑んだ。前半18分に先制したが、60分に失点し、1−1のままアディショナルタイムに突入。グループで一番苦しい立場にいたオーストリアは、勝つために死に物狂いになっていた。

 何とか勝って3位に食い込もうと攻撃を続けるオーストリアを前に、アイスランドは一丸となって守っていたが、ただ守りだけに徹していたわけではない。自陣でボールを奪うと、エルマル・ビャルナソンがカウンターを仕掛けてピッチ半分の距離を走破し、最後にクロス。ついてきていたアルノル・トラウスタソンがこれを押し込み、94分に勝ち越し点を挙げたのである。その瞬間、アイスランドの喜びは爆発した。

「今の気持ちを言葉で表現するのは不可能だ。僕は今、親友たちと一緒にグループ突破を遂げた。僕らはすごく団結していた。本当に素晴らしいよ。それに、僕らのサポーターたち! 1万人の人々が、応援に来てくれたんだよ。信じられるかい?」

 試合後、カリ・アウルナソンはこう言った。

「中でも最高なのは、ベスト16でイングランドと対戦できるってことだ。イングランドは、自分たちが出ていない大きな大会で、僕がいつも応援してる代表なんだよ!!!」

 監督の1人であるヘイミル・ハルグリムソンはまた、「引き分けではなく、勝つこと。それはとても重要なことだった」と語る。

「皆がこの試合を見て、われわれがこの勝利をつかむために、どんな犠牲でも払おうと奮闘しているところを見たはずだ。オーストリアはいいプレーをしていたが、われわれは試合を通し、気骨と意欲を見せ続けた。ここまでやってきたことだけでもうれしく思っていたが、この試合に勝ったというのは、想像を絶するほど素晴らしいことだ」

 ところでアイスランドには、ラーシュ・ラーゲルベックというスウェーデン人監督と、アイスランド人のハルグリムソン監督がいる。選手たちには、「ぴったりの二人三脚だよ」と揶揄(やゆ)されるこのタッグは、どうやって始まったのか? ここで奇跡を生み出した背景を、見ていくことにしよう。

奇跡の源泉は室内サッカー場だった

アイスランドには、ラーゲルベック(中央左)というスウェーデン人監督と、アイスランド人のハルグリームソン監督(中央右)がいる 【写真:ロイター/アフロ】

 まずはこの数字を見てほしい。

33万人:国の人口
3万3000人:定期的にサッカーをプレーしている人
2万3000人:うち選手として登録している人(アマチュア、ジュニア、シニア、男女などすべて)
1万5000人:うち男子選手の数
3000人:うち成人の数
100人:うちプロ選手の数

 この100人の男子プロ選手から選ばれた男たちによって、アイスランドはユーロ本大会行きを成し遂げた。彼らは今大会に出場した国の中で、最も小さな国である。さらにアイスランド代表には、気候という障害があった。ノルウェーとグリーンランドの間に位置する島、アイスランドは、夏の最高気温が13度、年の半分は氷点下になるという気候の厳しい国である。

「芝で(プレーを)できるのは夏だけで、年のほとんどで灰色の砂のグラウンドでプレーしていたものだ」と、ギルフィ・シグルズソンは振り返る。外で練習できるのは年に4カ月だけ、という気候は長くこの国のサッカーの進展の障害だったが、国に2つのインドアサッカー場ができたことがこの“冒険”の発端となった。

 というのも、この室内施設で行なわれた育成を受け、育った最初の世代が、2007年にU−17ユーロで本大会出場に至った(本大会出場チームはわずか8カ国)アイスランドの黄金世代――今回の代表選手たちの核なのである。そして可能性を信じたアイスランドは、「小さな国を勝たせるためのメソッド」を持つ、元スウェーデン代表監督のラーゲルベックを呼び寄せた。彼は経験と知識をこの国にもたらし、皆が彼の作るプロジェクトに従って、ユーロ本大会出場という歴史に残る快挙をやってのけたのである。

 ラーゲルベックの4−4−2は、攻撃と守備のバランスがとれたシステムだ。事前に対戦相手を綿密に研究し、試合では皆が監督の指示に添って、やるべきタスクをこなす。彼が各試合前に行なう長いブリーフィングは有名だ。また良いチームワーク、組織力に加え、寒い気候に鍛えられたハードワークの精神、不屈の魂も、アイスランドの武器だと選手たちは言う。

 国内リーグがセミプロで、またプレー可能な時期も限られることもあり、現代表メンバーに国内リーグでプレーしている者はいない。そして中には、かなりユニークな選手もいる。30歳でプロになったGKハンネス・ハルドルソンは、母国のリーグでプレーしながらフィルムディレクターの仕事もしていたが、14年にノルウェークラブと初のプロ契約を結びサッカーに専心するようになった。彼が代表に初めて招集されたのは27歳のときで、第一GKの地位を固めたのはこのユーロの予選からだった。

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著者プロフィール

東京生まれ、湘南育ち、南仏在住。1986年、フェリス女学院大学国文科卒業後、雑誌社でスポーツ専門の取材記者として働き始め、95年にオーストラリア・シドニー支局に赴任。この年から、毎夏はるばるイタリアやイングランドに出向き、オーストラリア仕込みのイタリア語とオージー英語を使って、サッカー選手のインタビューを始める。遠方から欧州サッカーを担当し続けた後、2003年に同社ヨーロッパ通信員となり、文学以外でフランスに興味がなかったもののフランスへ。マルセイユの試合にはもれなく足を運び取材している。

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