室伏広治が未来へ残したマイルストーン 後継者不在のまま一線を退く“鉄人”

平野貴也
 世界の室伏が、第一線を退く。サークルに立っていたのは、2004年アテネ五輪で金メダル、2012年ロンドン五輪で銅メダルを獲得した、吠えまくる男ではなかった。1投目を放った瞬間に浮かべた表情は、失敗を前向きに受け止める強さや自信に満ちたものではなく、これではダメだと悟るような哀愁漂うものだった。

「高みを目指すには体力の限界」

日本の投てき競技を長らく引っ張ってきた室伏広治が、ついに第一線を退く 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 24日、リオデジャネイロ五輪の日本代表選考会である第100回日本陸上競技選手権大会が愛知・パロマ瑞穂スタジアムで開幕し、男子ハンマー投げ決勝に出場した室伏広治(ミズノ)は3投目を終えた段階で上位8人に入ることができず、予選落ちとなった。

 1投目が64メートル74、2投目も64メートル02。室伏のベストは、日本記録の84メートル86だ。2年前のこの大会で73メートル93の記録を残したのを最後に競技会から離れていたので無理もないが、比較にならないほど記録は伸びなかった。予選突破を懸けた3投目は、無情のファウル。結果次第では5大会連続の五輪出場という偉業を成し遂げる可能性もあったが、リオ行きは絶望的となった。

 決勝進出者が競技を続ける中、室伏は会場のフラッシュインタビューをはじめとする取材に応え、「結果としては64メートルということだけど、精一杯やった結果かなと思う。短い準備期間だったということはあるけど、五輪や世界選手権でメダルを狙うような高みを目指すということは、体力の限界で難しいと感じている。トレーニングは日常的にするけど、それと高みを目指すことは1つレベルが違うこと。今後については、体を動かせる範囲であったり、後輩に刺激を与えるためにやったりとかいう気持ちは多少ありますけど、今回が一つの区切りだと思っている」と、競技者として第一線を退く意向を明かした。

レジェンドに用意された第100回記念大会

24日の日本選手権で投てきした直後の室伏。全盛期の記録には遠く及ばなかった 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 室伏は、2年前のこの大会で前人未到の20連覇を達成した後、競技会から遠ざかっていた。その間はスポーツ界を象徴する文化人として活躍。今では、競技者であり五輪メダリストであるということのほかに、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会のスポーツディレクター、東京医科歯科大学の教授、日本陸上競技連盟の理事、日本オリンピック委員会の理事と多くの肩書を持つ。すでに第一線を退いた印象を持っていた人もいたはずだ。

 それでも2年ぶりに出場したのは、5大会連続の五輪出場を目指すというだけでなく、今大会こそが最後の挑戦にふさわしいと考えたからだろう。室伏は静岡県沼津市の出身だが、小中学生の時期を豊田市で過ごし、千葉県の成田高校卒業後に中京大へ拠点を移すなど、今大会の開催地・愛知県は、長い時間を過ごした場所だ。そして、日本陸上界のレジェンドに似合う、第100回記念大会。格好の舞台だった。

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著者プロフィール

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。主に育成年代のサッカーを取材。2009年からJリーグの大宮アルディージャでオフィシャルライターを務めている。

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