痛めた拳でKOを狙い続けた井上尚弥の意地 足でポイントを取っても「自分が納得しない」

平野貴也

皆さんの期待を見事に裏切ってしまった

KOは逃したがWBO世界スーパーフライ級王座防衛に成功した井上尚弥。拳を痛めながらも最後までKOを狙い続けた 【写真:赤坂直人/スポーツナビ】

 多彩なブローは、鳴りを潜めた。プロ10戦目。初めて試合後のボクサーらしく顔に打たれた後を残した若き王者は「早々に終わらせたかったけど、ちょっと右の拳に異常が発生して……」と苦笑いを浮かべながら、KO勝利を逃したV2戦を振り返った。

 8日に有明コロシアムで行われたプロボクシングWBO世界スーパーフライ級王座戦は、無敗の王者・井上尚弥(大橋)が最終ラウンドに連打でダウンを奪うなど優位に試合を進め、挑戦者の同級1位ダビド・カルモナ(メキシコ)に大差の判定勝ち(5ポイント差1人、9ポイント差2人の3−0)を収めた。直近2試合は、試合序盤で終わらせる圧倒的なKO劇を見せていたが、試合途中に足をつりながら日本王座を獲得したプロ4戦目以来となる2度目の判定勝利となった。

2ラウンド中盤で右拳に痛みが…

2R途中、相手のこめかみか頬の辺りを打ったとき右拳に痛みが走ったという 【写真:赤坂直人/スポーツナビ】

 試合後、取材に応じた井上は、拳の負傷をごまかそうとしていたが質問が相次ぐと「右を痛めたのは、2ラウンド。相手のこめかみか、頬の辺りを打ったとき。左は、気付いたら痛かった。ジャブを打っていたら、じわじわと。試合の中盤。(右を)2ラウンドで若干痛めて、まだ打てるかなと思っていたけど、6ラウンドくらいで強く打つのはきついなと思った」と打ち明けた。

 確かに2ラウンドまでは、鋭いステップインとジャブで間合いを詰める、好戦的なスタイルだった。しかし、3ラウンドに入るとリングに弧を描くステップに変えて、相手が出て来るのを待つような時間が増えて行った。
 それでも、4ラウンドにショートレンジで打ち合うと、5ラウンドには相手が右へステップを踏もうとしたところへ左フックを打ち込んで正面に捉え、一気に間合いを詰めて攻め込んだ。
 6ラウンドは、ロープに詰めてラッシュ。ショートレンジで打って、離れながら相手の反撃に合わせてミドルレンジのパンチを当てるなど上手さも見せたが、過去の試合と比べると攻め方が粗く、焦っている印象があった。試合中盤は、拳を痛めたことを報告していなかったため、父の慎吾トレーナーから倒しに行けという指示があったという。しかし、仕留め切れなかった。

ボディは打てるけど…KOまでの過程は作れず

両拳を痛めながらもKOを狙い攻め続けた 【写真:赤坂直人/スポーツナビ】

 明確な変化が起きたのは、7ラウンドだった。攻めに出た5、6ラウンドと異なり、井上は中間距離で試合をコントロール。ラッシュの疲労から回復するためかと思ったが、8ラウンドもじっくりと相手を見ながら試合を進めた。中盤以降は、組み立ての中でボディブローが増えた。9ラウンドは相手のステップバックに合わせて左フックをヒット。しかし、KOの予感は漂わなかった。
 井上は「どう組み立てて倒そうか考えていた。右は、そこまで使えない。足を使って圧倒的にポイントを取ることはできるけど、自分が納得しない。左で倒すならフックしかないと思って距離を詰めようとしたけど、相手が足を使ってサークリングをしていて、うまくいかなかった。(拳を痛めても硬い骨のある頭部ではない)ボディは打てるけど、そこまでの過程を作れなかった。左でさばくことしかできなかった。左1本でコントロールできたし、1位とのレベルの差は見せられたと思う。でも(KOという明白な形で)圧倒的な力の差を見せられなかった」と試行錯誤を繰り返した中盤以降の展開に悔しさをのぞかせた。

苦境の中、光ったステップワーク

見事にベルトを守った井上だが判定勝利に笑顔はなかった 【写真:赤坂直人/スポーツナビ】

 ボクシングの華がKOである以上、判定勝利という結果は少なからず反省材料を伴う。井上はリング上で「皆さんの期待を見事に裏切ってしまった」とファンに謝った。しかし、状況と結果を照らし合わせたときに浮かび上がるのは、反省点ばかりではない。父・慎吾トレーナーが「拳に異常が出ると、アドバイスを出しようがなくなってしまう」と嘆く状況だっただけに、大橋秀行会長は「それでも最終回に、ダウンを奪って帰って来るんだから、ただ者じゃない」と井上をフォローした。
 特に、試合を通してステップワークは光っていた。ぐいぐいと前に出た序盤、横へスッとずれてリングに弧を描きながら相手との距離を調整し続けた中盤。そして終盤は、跳ねるようなステップで相手の左右に位置を変え続けて困惑を誘った。右、左と跳びながら、時折勢いよく前に出る。多彩なブローの代わりに、多彩なステップは見てとれた。最終ラウンドは残り1分で急に前へ出てラッシュ。ロープに詰めると相手に逃げ道を与えず、素早く追いかけてダウンを奪った。反動を利用した動きで的を絞らせないロープワークを試みても的確に飛んで来る井上のパンチを浴び続けたカルモナは、立ち上がったものの茫然としていた。

 痛めた拳でどうやって勝つかではなく、どうやってKOするかを考えていた王者と、1位との力の差は、挑戦者のコメントがよく示していた。試合前には「相手は完成されたボクサーだが、試合の中で必ず突破口を見つけてみせる」と強気に話していたカルモナだが、試合後は素直に完敗を認めた。そして、勝てるチャンスがあったと主張するのではなく「私が望んだようにはならなかった。でも私が12ラウンドもこのような戦いをするとは誰も思っていなかったはずだ。私は、すべての力を出した。満足している。今夜の私ほど井上を苦しめた選手はいない。再戦したいか? もちろん。彼は、この階級でベストなチャンピオン。絶対に彼に勝ちたい」と善戦の価値を訴えた。相手は、あの井上だぞと言いたげだった。

次戦は前王者ナルバエスとの再戦が濃厚

世界戦の舞台で初めてKOを逃した井上だが、強さに陰りは見られない 【写真:赤坂直人/スポーツナビ】

 2度目の防衛を果たした井上の次戦は、前王者オマール・ナルバエス(アルゼンチン)との再戦が濃厚だ。実現すれば、井上にとってはプロ初の再戦となる。痛めた拳の状態が気がかりだが、井上は「長引く痛みではない。拳の打撲。折れてはいない。自分で分かる」と説明した。そして、2ラウンドでKOした前回の対戦との比較について「あれ以上のインパクト、あれ以上の試合となると、すごいプレッシャーですけど、勝ちに徹したい」と話し、早くも3度目の防衛を誓った。

 国内では井上がKOするかしないかが注目されるが、海外では誰がどのように井上を苦しめることができるのかという視線も注がれる。アクシデントを物ともせずに1位挑戦者を破るとなると、もはや普通の世界ランカーでは太刀打ちできそうにない。たった2ラウンドとはいえ、身をもって井上の強さを知るナルバエスが、どのような対策を練るのかも見どころとなる。世界の舞台で初めてKOを逃したが、強さに陰りは見られない。相手がいないと言われるような軽量級のビッグネームへ、井上は階段を上がり続けている。
  • 前へ
  • 1
  • 次へ

1/1ページ

著者プロフィール

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。主に育成年代のサッカーを取材。2009年からJリーグの大宮アルディージャでオフィシャルライターを務めている。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント