伝説の「済美vs.東北」9回裏2死――ダルビッシュは何を思っていたのか!?
若生監督もダルに無理をさせられず
サヨナラとなる打球は、肩の状態から登板機会がなくレフトを守っていたダルビッシュの遥か頭上を越えていった 【写真は共同】
ダルビッシュはあの場面を振り返り、「7回ぐらいから、アピールじゃないけど、いつでもいけるように準備っていうのもあった」と話した。声がかかれば、マウンドに上がるつもりだったのだ。
「でもなかなか声がかからなくて。そもそもが、その前の試合も、大阪桐蔭高戦だったと思うけど、肩がもう全然ダメで、高校3年間ずっと痛くて、監督もその状態を知ってるし、それで多分、投げさせなかったのかなぁ」
若生監督としてはダルビッシュに無理をさせられなかった。アウトもあと一つ。逃げ切れるという勝算もあったのかもしれない。ただ、結果は無情である。真壁は見逃し、空振りで2ストライクと追い込む。そこから高橋は2球ファール。5球目、捕手は外に構えたが、真っすぐが、中に入ったところを高橋は見逃さなかった。
打球はダルの遥か頭上を越えて…
「打った瞬間、パッと上がって…レフトフライかどうかは分かるじゃないですか。動いたところで、どうしようもないのも分かってる。でも勝手に決めつけたらヤバいと思って、最後、一応、フェンスの方へ…」
しかし、もちろん、打球はレフトスタンドへ。上甲監督に騙されて水を飲まされた高橋の打球は、登板したい気持ちと肩の状態に不安があるジレンマを抱えていたダルビッシュの遥か頭上を越えていったのだった。真壁は膝に両手をついた。上甲監督も膝に両手をついた。いずれも信じられない、とでもいわんばかりに――。
大勝の上甲監督が認めた潜在能力
時は、先ほど触れた秋の神宮大会まで遡る。あのときダルビッシュは試合後、「ど真ん中をボールと言われた」と審判を批判したと報道され、非難を浴びていた。
「そんな大したことというか、変なこと言ってないんだけど、そのとき、ふてぶてしかったらしくて、面白おかしく書けばということで、変に書かれた(笑)。真ん中をボールって言ったとか。審判がどうだとか。それで高野連(日本高等学校野球連盟)からも注意された」
その後、ダルビッシュは2004年のドラフトで日本ハムに1位指名されて入団する。そのとき、済美で4番を打っていた鵜久森敦志も日本ハムに7位で指名され、2人はチームメートとなる。このとき鵜久森が上甲監督の言葉をダルビッシュに伝えたそうだ。
「あの子は絶対、すごいピッチャーになる」
違う視点でダルを称賛した上甲監督
「えっ なんでなん? あの時なんて、肩もあれやったし、球ももちろん走らへんし、何もいいところなかったのに」
しかし、上甲監督の見方は違った。鵜久森ら選手に、「ストライク、ボールに関して、あそこまで自分のボールに自信がある。あの子はあれだけ自信を持っている。気をつけなあかんで」と伝え、「もしまた試合することがあったら、絶対成長してくるから」とダルビッシュを攻略し浮かれる選手を戒めた。そんな上甲監督にダルビッシュは、興味を持った。
「みんなに批判されていたなかで、上甲さんは違う視点というか、なんか面白い人だなあって、プロ1年目に思った。だって、この間も言ったけど、日本人ってみんなが言ってたら、そうだと思って、みんな同じところへいく。その中でそうじゃないというのは、面白い視点というか。普通、態度に出してたら、『なんだよ、自分のこともコントロール出来ねぇのかよ』って見られるところを、あんな大監督が特にそういう見方をするって、すごく面白くて」
明徳の敬遠策も「ルールに則っている」
1992年、夏の甲子園で明徳義塾高の馬淵史郎監督が、星稜高の松井秀喜(元ヤンキース)を5打席連続敬遠という策を取り、激しい批判に晒された。そのとき上甲監督は、批判されるのを覚悟で、「ルールに則った作戦なので、問題ないことである」と話したそうだ。上甲監督らしいと言えば、上甲監督らしい。
それにしても上甲監督は、どんな思いで高橋に神水を飲ませたのか。その成長力を恐れ、レフトでシャドーピッチングをするダルビッシュが、どう監督の目に映っていたのか。今ではもう、その思いを知る術はない。上甲監督が亡くなってから、2年目の春が、あの名勝負から12年目の春が、甲子園に訪れている。