伝説の「済美vs.東北」9回裏2死――ダルビッシュは何を思っていたのか!?

丹羽政善

2004年選抜準決勝は球史に残る名勝負となった。4点ビハインドの9回、2点を追い上げた済美。なおも2死一、二塁から高橋が逆転サヨナラ3ランを放った 【写真は共同】

 12年も前のことになる。2004年4月2日、済美高(愛媛)vs.東北高(宮城)の試合は、球史に残る一戦となった。2点を追う済美は9回裏2死一、二塁で高橋勇丞(元阪神)が打席へ。そこで何が起きたのか。ダルビッシュ有(レンジャーズ)を始め、関係者の証言を元に、あのシーンを振り返る。

 打席に入ろうとする高橋を済美高・上甲正典監督(故人)が呼び止める。三塁側ベンチでは、東北高の若生正廣監督(現・埼玉栄高監督)が、マウンドに伝令を飛ばす。そのときレフトを守っていたダルビッシュ有が、シャドーピッチングをする姿が中継映像に映っていた――

東北4点リードの9回に劇的な展開へ

 2004年春の選抜大会、初出場の済美高と優勝候補の東北高が準々決勝で対戦。東北高が序盤から試合の主導権を握り、9回表を終えて6対2と4点リードしていた。9回裏、東北高のマウンドには真壁賢守。エースのダルビッシュは肩の痛みもあって先発せず、レフトの守備に就いていた。その真壁は快調に済美打線を封じ込め、6回から8回はすべて3者凡退という安定感を誇っている。

 ところがここから、“筋書きのないドラマ”という形容では安っぽいほど、劇的な展開が訪れる。

 まず、先頭の野間源生がライト前ヒット。続く田坂遼馬(現・済美高コーチ)がライトオーバーの三塁打を放ち1点。無死三塁の場面では新立和也がセカンドゴロに倒れたが、田坂がホームを踏んで2点差。しかし、続いて打席に入った藤村昌弘がセカンドゴロに凡退すると、2死走者なしとなっている。

 東北高はあとアウト一つで、準決勝進出。それがはっきりと見えた。ところがここから、ある意味、ダルビッシュが警戒していた通りの結果となってしまう。

「スイングがすごかった」済美打線

 実は、東北高と済美高は前年11月の第34回明治神宮大会で対戦している。このとき、ダルビッシュは済美打線に捕まり、0対7で屈辱のコールド負けを喫した。先日、その時の済美打線の印象を、ダルビッシュが「(済美の選手は)スイングがすごかった」と語り、続けた。

「それまで僕は1年生から投げて来たけど、ああいうチームはいなかった。1年生のときに日大三高とか帝京高とか、そういうチームにも投げてきましたけど、あそこまで完璧に打たれるって、ないですよ。高橋と1番の甘井っていうのがすごいという印象。いきなり甘井にヒットか二塁打を打たれてるんです。そこから完全にバンバンいかれた」

 その5カ月後の春――9回裏2死走者なしの場面で打席に入ったのが1番の甘井謙吾である。ダルビッシュが“すごい”と評した彼は、ライト前ヒットで出塁。そして2番の小松紘之はレフトのダルビッシュのところへヒットを放つ。2死一、二塁で、やはりダルビッシュが高い評価を与えた高橋に打順が回る。冒頭のシーンは、そういう状況で訪れた。

逆転機に上甲監督が与えた“神水”

 このとき、上甲監督が打席に向かう高橋を呼び止め、こう言いながら口に水を含ませている。

「神水じゃ」

 このことを後で聞いた部長の安永利文は、「確かに大会前、お参りに行った。そのときに水を汲んだ。しかし…」と首をひねった。

 上甲監督は、宇和島東高監督時代から甲子園の大会前には祈祷する習慣があった。宇和島では和霊神社、済美高では愛媛県西条市にある石鎚神社。ここで汲んだ水を高橋に飲ませたというのだが、昨年2月に済美高の練習場でお会いした元部長は、「でもそれは、その試合の2週間ぐらい前の話だから、高橋に飲ませたあの水が神水であるはずがない。ようはただの水ですよ」と苦笑した。

 安永の記憶によればあのとき、高橋は顔面蒼白だったという。ただ、水を飲んで、少し落ち着いた。

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著者プロフィール

1967年、愛知県生まれ。立教大学経済学部卒業。出版社に勤務の後、95年秋に渡米。インディアナ州立大学スポーツマネージメント学部卒業。シアトルに居を構え、MLB、NBAなど現地のスポーツを精力的に取材し、コラムや記事の配信を行う。3月24日、日本経済新聞出版社より、「イチロー・フィールド」(野球を超えた人生哲学)を上梓する。

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