外様の社長と監督が抱く「王国復活」の夢 J2・J3漫遊記 清水エスパルス 後編

宇都宮徹壱

「サッカーの街」清水の特殊性

清水の街ではあちこちでサッカーの息吹を感じる。まさに日本最古の「サッカーの街」 【宇都宮徹壱】

 小林を清水に連れてきた社長の左伴もまた、清水にとっては外様の人間である。東京出身で、日産自動車に入社後は主に生産畑を歩み、01年に45歳で横浜マリノス株式会社の社長に就任した。元日本代表監督、岡田武史を指揮官に招へいし、03年と04年にJ1リーグで連覇を達成。07年に社長を辞任すると、それから1年半を経て大企業・日産を飛び出す。そして株式会社湘南ベルマーレの常務取締役となってからは、「地べたを這うような営業」を6年間続けた。その湘南もJ1昇格を果たし、自らの役割を果たしたことを実感した左伴は、「クラブ経営の個人コンサルティングでも始めようか」と思っていた14年オフ、株式会社エスパルス会長の鈴木與平からクラブ社長のオファーを受ける。

「正直、1カ月くらい考えましたね。というのもサッカー業界の中でも、とりわけ清水で仕事をするというのは相当な覚悟がいりますから。ひとつは清水が日本で最も歴史のある『サッカーの街』であり、非常に目の肥えたファンが多いこと。もうひとつは、サッカー経験のある地元経営者が多いこと。このクラブは年商が30億円ちょっとで、いちおう中規模とされていますけれど、そのうち半分近い14億円がスポンサー収入なんですよね。マリノスも含めて、普通は3割行けばいい方です。ところが清水は、地元の財界にサッカーを理解している人がすごく多い。そういう土地柄ですから、私のような外から来た人間を理解してもらうには、ちょっと時間がかかるというのは覚悟していました」

 外様社長の見立てによれば、清水のストロングポイントは「サッカーが生活に根付いていること」、逆にウィークポイントは「サッカーが当たり前すぎて効率的な営業ができていないこと」であるという。それでも左伴は清水での仕事に、横浜FMや湘南では果たせなかった「夢」を実現させる可能性を見いだしている。

「70万人しかいない地方都市(=静岡市)なのに、このクラブは14億円の協賛をいただいているわけです。僕がいた頃のマリノスは、せいぜい17億円。人口およそ370万の都市(=横浜市)で、大企業もいっぱいあるのにですよ? 地元の経営者に会う時も、横浜や湘南だとゴルフやプロ野球の話をして、それからサッカー。ところがこっちは『昨日の試合の、あのスローインは』という話から始まる(笑)。試合の日でなくても、オレンジ色のフラッグが立っているし、おばあちゃんが昔のタオルマフラーを首に巻いて洗濯している。こんな街、他にありますか? ヨーロッパの人たちに見せても恥ずかしくない、真の意味で地域に密着したサッカークラブを実現できるのは、日本でここしかないと僕は思っています」

清水でかなえる『フィールド・オブ・ドリームス』とは?

今季開幕戦で観客に挨拶する左伴社長。クラブは降格してもサポーターの信任は厚い 【宇都宮徹壱】

 そんな野望を胸に、清水での社長業をスタートさせた左伴であったが、就任1年目の15年にクラブは史上初となるJ2降格の憂き目に遭う。「J1とJ2とでは予算規模がどれくらい違ってくるのか。削った予算をどうやって補填するのか。降格して1年で復帰したクラブはどんなことをやっていたのか。そういったシミュレーションやリサーチを、9月くらいから徹底的にやっていましたね」とは当人の弁。そして10月17日に降格が決まると、すぐさま後任監督の人選をスタートさせる。

「僕の場合、名前ではなく資格要件で決めるタイプなのでね。このクラブはJ2に落ちたことがなかったので、そこでの戦い方を知らない。それと、めちゃくちゃプレッシャーがかかるプレーオフではなく、一発で上げた方が絶対にいい。となると、複数のJ2クラブで結果を出している反町(康治)とかイシさん(石崎信弘)とか小林とか、自ずと限られてきますよね。そしたら小林が徳島で契約満了というリリースが出たので、これはもう、すぐに会いに行くしかないと思わったわけ」

 小林が語るように、左伴は05年のC大阪の躍進をよく覚えていた。その年、横浜FMが優勝争いに絡めず9位に終ったこともあり、小林の印象は低迷の悔しさとセットになって彼の脳裏に刻まれたのである。その一方で「山形時代、豊田陽平(現サガン鳥栖)を代表クラスにまで育て上げたことも評価している」とも。才能がありながらJ2にくすぶっている選手の能力を引き出すという点でも、まさに理想的な人材だ。小林と面会した左伴は、1989年の米国映画『フィールド・オブ・ドリームス』を引き合いに出しながら、速射砲のようなトークでこのようにまくし立てた。

「あんた、J1であれだけの実績を残しながら、あと一歩のところで優勝を逃したわけでしょ。このままトウモロコシ畑に埋もれてしまっていいのかい? 来年で56(歳)だろ? 清水はJ2に落ちたけれど、ここで鍛え上げてJ1に復帰すれば、もともと良い選手はいるし、少しお金をかければ十分に優勝が狙えるよ。あんたも『フィールド・オブ・ドリームス』になれるんだよ! マリノスの優勝パレードには3万人しか集まらなかったけれど、こっちでやれば20万人は来る。そういうクラブで、オレと一緒に夢をかなえないかい?」

 実は左伴もまた、横浜FMの社長だった時代に悔いていることがあった。それは「あの岡田武史をもってしてもACL(AFCチャンピオンズリーグ)を獲れなかったこと」である。今季のミッションは、あくまでもJ1復帰。しかしその視線の先には、J1優勝があり、アジア制覇があり、さらには「地域と共生しながら発展するビジネスモデルを実現させる」という究極の目標がある。畏敬の地・清水にて、途方もない野望を密かにたぎらせる外様の社長と監督。「王国復活」を懸けた彼らの挑戦は、今まさに始まったばかりだ。

<この稿、了。文中敬称略>

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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