伝統や歴史を重んじたクラブ流の番号選定 鹿島の背番号にまつわるストーリー

田中滋
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将来を期待してつけた92年組の背番号

2011年に加入した4人の背番号には、彼らに期待するクラブの思いが込められていた 【写真は共同】

 鹿島アントラーズは伝統や歴史を重んじるクラブである。カシマスタジアムの一角には、国内最多の「17冠」というタイトルを振り返ることができるカシマサッカーミュージアムがある。タイトル獲得に貢献した選手たちはレジェンドとして、いつまでも忘れられることなく、その躍動と息吹を伝えてくれるのだ。

 ただ、目に見える形で伝統を受け継ぐものは他にもある。それは背番号だ。さまざまな背番号が、大切に選手から選手へと引き継がれ、過去の重みは選手の責任感を養い、先人を越えようとする原動力をもたらしてきた。

 いまのチームの中心選手である1992年組は、2011年の加入当初から将来を期待された背番号を託されていた。当時の入団会見で井畑滋社長は次のように述べている。

「今年はクラブ創設20周年ということもあり、頭に2をつけた。将来的には2を取ってほしいというのがわれわれの希望」

 柴崎岳が20、昌子源が23、土居聖真が28(他にもモンテディオ山形に期限付き移籍中の梅鉢貴秀に27)という背番号をクラブから渡された。つまり、柴崎が10、昌子が3、土居には8をつけてほしいという願いが込められていた。鹿島の3番と言えば秋田豊や岩政大樹(現ファジアーノ岡山)といった守備の要が背負ってきた番号であり、8番は小笠原満男や野沢拓也(現ベガルタ仙台)という攻撃の中心選手がつけてきた。昌子と土居は昨季からその番号を背負い、それにふさわしい選手になるべく切磋琢磨(せっさたくま)を続けている。

 そして今季、いよいよ柴崎が10番をつける。10番と言えば、もともとはジーコの番号だ。本山雅志(現ギラヴァンツ北九州)からあとを託された柴崎は、「番号にこだわりはないと言っていたけれど、いざこうなると身が引き締まる思い」と語った。
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著者プロフィール

1975年5月14日、東京生まれ。上智大学文学部哲学科を卒業。現在、『J'sGOAL』、『EL GOLAZO』で鹿島アントラーズ担当記者として取材活動を行う。著書に『世界一に迫った日』など。

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