ヤクルト・山田、新背番号で始動 受け継がれる燕のナンバー“1”
キャンプで背番号1を背負い、軽快な動きを見せる山田 【写真=BBM】
2015年オフの契約更改で23から1へと背番号が変わり、その姿を初めてファンの前で披露した。
2月1日、キャンプインと同時に山田哲人にとってこれまでとは違う、新シーズンがスタート。それは本人が一番よく分かっている。
「期待されていると思いますので、その期待に応えられるように頑張ります」
昨季トリプルスリーを達成しリーグ優勝に大きく貢献すると、史上初めて本塁打王と盗塁王を同時に獲得した。一人の力で優勝できるわけではないが、山田の活躍なくして連覇は見えてこない。それを山田自身も十分に自覚している。その期待の証しとして与えられたのが背番号1だった。12年に青木宣親(現マリナーズ)がメジャー移籍して以来空き番号となっていた番号が、山田の背中で存在感を示している。
若松、池山、岩村が背負った「1」
初代ミスタースワローズは若松勉だ。ヤクルト一筋19年。選手時代、監督時代にもチームを優勝に導いている 【写真=BBM】
俊足、巧打、さらに外野守備も一流で、168センチの小さい体を大きく使いグラウンドを駆け回る“小さな大打者”はスワローズの象徴だった。誰からも愛される人柄と笑顔でファンを魅了し、チームの中心的存在に。引退後は監督としてもチームを優勝に導くなど、まさにヤクルトの一時代を築いてきた。09年には殿堂入りも果たしている。
その若松の引退から2年が空き“ブンブン丸”の愛称で親しまれた遊撃手の池山隆寛が92年から99年まで背負い、勝負強い打撃とパンチ力でチームをけん引した三塁手の岩村明憲が01年から06年まで着けた。そして「生え抜きのチームを代表する選手が着ける番号」へとその価値は増していく。
14年オフには、プレーだけではなく、チームリーダーとしても大きな期待を受け、日本ハムから移籍してきた大引啓次に背番号1の打診があったが、それを断った。理由は実に大引らしい。
「個人的に恐れ多い。歴代の先輩方が着けてこられた素晴らしい番号。若い選手が引き継いでほしい」
14年は山田が日本人右打者最多となる193安打を放ち、最多安打を獲得した年だっただけに、その言葉にホッとしたファンも多かったのではないだろうか。そしてその珠玉のナンバーを、いつか山田が背負うことへの期待を大きくしたはずだ。