琴奨菊が31歳で選んだ新たな“型” 左前みつ狙いが導いた初優勝

荒井太郎

13年の重傷で頭によぎった引退

14勝1敗で日本出身力士としては10年ぶりの優勝となった琴奨菊(左) 【写真は共同】

 10年ぶりの日本出身力士の優勝で沸き返った先の1月場所。その主役は大関で安定した結果を残し最も期待されていた稀勢の里ではなく、これまでカド番を繰り返し引退危機さえ囁かれていた琴奨菊だった。

 新大関として地元福岡に“凱旋”した平成23年(2011年)11月場所は、初日から9連勝と突っ走り最後は11勝に終わったが、近い将来の初賜盃への期待を抱かせるに十分な活躍ぶりだった。しかし、その後は優勝争いに顔を出すこともなく、2年後の同じ11月場所で右大胸筋断裂という重傷を負ってしまう。

 左を差し、右で相手のカイナを抱え、がぶり寄りで圧倒する取り口で大関の座を射止めた。ケガをしてからは右でしっかり抱えることができなくなり、相手の突進を受け止めきれずにズルズルと土俵を割る場面が目立つようになった。以後、皆勤して負け越したのが3場所。5度目のカド番だった昨年7月場所は12日目に7敗目を喫しながら、奇跡の3連勝で九死に一生を得たのであった。

「体力は落ちているのに、感覚はいいときのままで相撲を取っていた」と相撲人生で一番苦しかった時期を振り返る。肉体と感覚のズレ、さらには大関として結果を出さなくてはいけないという焦りが、自分自身と真正面から向き合うことを拒んでいた。

「自分の相撲はもう通用しないのではないか。今ごろは(親方衆が着る)協会のジャンパーを着ていたかもしれない」

 齢も三十路の大台に乗っていた。大関の地位もすでに手に入れた。自身の気持ちが引退に傾いていた時期も確かにあった。本人さえ決断すれば、それはねぎらいの拍手をもってファンは受け入れていただろう。そんな時期にある話が失意に沈む心のひだに引っかかった。

変化を決断した『鷹の選択』

『鷹の選択』と題するその話によると――。最高70年生きると言われる鷹は40歳を過ぎたあたりからくちばしや爪、羽が弱り果て、獲物を捕まえられなくなるという。そこで鷹は2つの選択に迫られる。このまま死期を待つのか、苦しい自分探しの旅の出るのか。

 後者を選択した鷹は山頂に行き、弱ったくちばしを岩で砕き、壊す。すると新しいくちばしが出てくる。そのくちばしで爪をはぎ取り、新しい爪が生えてくると、今度はその爪で羽を抜き取る。こうして新しい羽が生えてきた鷹は生まれ変わり、残りの30年を天空高く飛びながら生き長らえるという。

「生まれ変わらなければいけないと思ったとき、自分にとっての『鷹の選択』が左前みつだった(笑)」

 これまでの左四つの相撲から右差し、左前みつを狙う低い立ち合いを心掛けることにより、すぐに空いてしまっていた右脇はおのずと締まるようになった。たとえ左前みつが取れなくても低い体勢は維持されるので、相手に圧力もかかりやすい。

 これまで培ってきた「型」はそう簡単に捨て去れるものではない。ましてや、ある程度の年齢を重ね、大関まで上り詰めればなおさらのこと。一方で、いつまでもこれまでの「型」にこだわり続けていたならば、今ごろはそれこそ、協会のジャンパーを着ていたことだろう。相撲人生の大きな岐路に立たされた31歳の大関は、満身創痍ながらあえていばらの道を「選択」したのだった。

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著者プロフィール

1967年東京都生まれ。早稲田大学卒業後、百貨店勤務を経てフリーライターに転身。相撲ジャーナリストとして専門誌に寄稿、連載。およびテレビ出演、コメント提供多数。著書に『歴史ポケットスポーツ新聞 相撲』『歴史ポケットスポーツ新聞 プロレス』『東京六大学野球史』『大相撲事件史』『大相撲あるある』など。『大相撲八百長批判を嗤う』では著者の玉木正之氏と対談。雑誌『相撲ファン』で監修を務める。

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